現代外国人名録2016 「デズモンド・ムピロツツ」の解説
デズモンド・ムピロ ツツ
Desmond Mpilo Tutu
- 職業・肩書
- 平和運動家,黒人解放運動家,聖職者 元南アフリカ真実和解委員会委員長,元英国国教会ケープタウン大主教
- 国籍
- 南アフリカ
- 生年月日
- 1931年10月7日
- 出生地
- トランスバール州クラークスドープ
- 学歴
- 南アフリカ大学〔1959年〕卒,ロンドン大学キングズ・カレッジ〔1966年〕卒
- 学位
- M.TH.
- 受賞
- ノーベル平和賞〔1984年〕,名誉博士号(ケント大学,ハーバード大学,アバディーン大学,コロンビア大学,マウントアリソン大学,オックスフォード大学),ロンドン大学キングズ・カレッジ・フェロー,オナシス財団賞,マーティン・ルーサー・キング記念賞〔1986年〕,第三世界賞〔1989年〕,FIFA会長賞〔2010年〕
- 経歴
- 南アフリカ大学卒業後、教師となるが、1957年南ア政府の黒人差別教育立法に反対して教壇を去る。聖職者に転身し、’60年英国国教会司祭となり、’75年ヨハネスブルク主任司祭を経て、’77〜78年レソト主教。’79〜84年南ア・キリスト教会評議会事務局長を務め、人種差別撤廃運動のリーダーとして活動、’84年ノーベル平和賞を受賞した。’84〜86年英国国教会ヨハネスブルク主教、’86〜95年ケープタウン大主教(黒人として初めて)。この間、’88年よりウエスタン・ケープ大学学長を務める。’89年9月ケープタウンで反アパルトヘイトのデモ行進に参加し逮捕された。“南アのマーティン・ルーサー・キング”と呼ばれる。’95〜99年真実和解委員会委員長。約2年半にわたり、アパルトヘイト(人種隔離)時代の南アフリカで起きた人権侵害、犯罪を調査する。’98年10月マンデラ大統領に最終報告書を提出、また国民に公表した。著書に「Crying in the Wilderness」「Hope and Suffering」など。1986年広島での“86平和サミット”出席のため来日、2006年11月“広島国際平和会議2006”に出席のため再来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報