デタム(英語表記)De Tham

改訂新版 世界大百科事典 「デタム」の意味・わかりやすい解説

デ・タム
De Tham
生没年:?-1913

19世紀末から20世紀初頭にかけて,北部ベトナムでフランス軍の侵略に抗した民族英雄。本名はホアン・ホア・タムHoang Hoa Tham(黄花探)。デ(提)は提督略称。1885年のバンタン文紳)蜂起後,北部山地では大小の抗仏義軍が通商路を制してフランス軍と長期に対峙していた。デ・タムはソンタイの貧農出身で,イェンテに蜂起した義軍の長となり,最大の反仏根拠地を形成する一方,盛んにハノイ~ランソン間の鉄道やフランス軍哨所を襲った。フランス軍は92,94,95年に掃討作戦を行ったがいずれも失敗し,97年ついにデ・タムと協定を結んでイェンテ一帯の支配を認めた。しかし植民地資本の山地流入とともに,1909年,フランス軍は再侵攻を開始し,13年,彼は内通者ルオン・タム・キーに殺された。デ・タムはファン・ボイ・チャウや1908年のハノイ兵営投毒事件とも関係があり,勤王運動と近代民族主義運動とを結ぶ環として注目される。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

20世紀西洋人名事典 「デタム」の解説

デ・タム
De Tham


- 1913
ベトナムの軍人
ソンタイ出身。
本名ホアン・ホア・タム。
北部ベトナムの山地で、抗仏義軍が、通商路を制し、フランス軍と闘っていた頃、デ・タムは、イェンテに蜂起し最大の反仏根拠地を形成する。ハノイ・ランソン間の鉄道や、フランス軍哨所を襲撃。フランス軍の掃討作戦を撃退し、1897年協定を結びイェンテ一帯の支配を認めさせる。1909年フランスの再侵攻があり、’13年内通者に殺される。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android