日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュムーリエ」の意味・わかりやすい解説
デュムーリエ
でゅむーりえ
Charles François Dumouriez
(1739―1823)
フランス革命期の将軍。北フランス、ノール県のカンブレーに軍人の子として生まれる。ルイ・ル・グラン学院に学んだのち志願兵として軍に入り、七年戦争(1756~63)で軍功があり、和平後退役。のちサン・ルイの騎士になり、ルイ15世の密使としてポーランドやスウェーデンに派遣され、失敗の責を問われてバスチーユに投獄される(1774)。政治にも関心をもつが軍役に復帰。革命の勃発(ぼっぱつ)後、中将でナントの司令官を務めたのち、1792年ジロンド派内閣の外相。対オーストリア宣戦を促進、6月陸相を兼任したが辞任。8月戦況の悪化にあたり総司令官として北フランスに出撃。9月20日にバルミー、11月6日にジェマップの2戦に勝利を得て人気があったが、翌93年3月ネルウィンデンで敗戦。その責任を問われるのを避けようと反乱を策して失敗し、オーストリア軍に投降した。諸国を転々とし反革命に活躍したが成功せず、最後の亡命地イギリスで死んだ。
[樋口謹一]