日本大百科全書(ニッポニカ) 「トゥーラTura)」の意味・わかりやすい解説
トゥーラ(Cosme (Cosimo) Tura)
とぅーら
Cosmè (Cosimo) Tura
(1430ころ―1495)
イタリア初期ルネサンスの画家。フェッラーラに生まれ、修業時代については不明。1451年から同地のエステ家のために仕事を始めている。1453~1456年の間はフェッラーラでの消息がとだえることから、このころパドバやベネチアに滞在し、マンテーニャやドナテッロを学んだと考えられる。また、1450年以前にピエロ・デッラ・フランチェスカがフェッラーラで描いたといわれるフレスコ画(現存せず)から影響を受けた可能性もある。1456年にはボルソ・デステBorso d'Este(1413―1471)のもとで宮廷画家となり、ボルソの死後もその弟エルコーレ(エルコレ1世)Ercole Ⅰ d'Este(1431―1505)によって引き続き起用され、1480年まで宮廷で活躍。主要作品には『聖ゲオルギウスと竜』および『受胎告知』(フェッラーラ大聖堂)、パラッツォ・スキファノイアのフレスコ壁画(コッサとの共作)、『ロベレッラ多翼祭壇画』(中央パネルの『玉座の聖母子』はロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)などがある。針金のような鋭い描線による造形に、厳しい精神性が加わることにより、幻想的ともいうべき作風が生成している。
[小針由紀隆]