日本大百科全書(ニッポニカ) 「マンテーニャ」の意味・わかりやすい解説
マンテーニャ
まんてーにゃ
Andrea Mantegna
(1431―1506)
イタリアの画家。パドバ近郊に生まれ、少年期から生地の画家スクワルチオーネに師事し、その養子となる。1448年、早くも同市エレミターニ聖堂オーベターリ礼拝堂(1944年戦争で罹災)の装飾を数人の画家たちとともに委嘱され、56年までに「聖ヤコブの生涯」「聖母被昇天」「聖クリストフォルスの殉教」の諸場面を仕上げた。59年にはベローナのサン・ゼーノ・マッジョーレ聖堂の祭壇画『聖母子と諸聖者』を制作したが、これらの作品には師匠スクワルチオーネ由来の考古学的知識や、おりしもパドバ滞在中のドナテッロの感化による彫塑的な表現が際だっている。
1460年にはマントバの領主ゴンザーガ家の宮廷画家に登用され、以後、短期間ローマやトスカナに滞在したことはあるが、終生この文化都市で過ごした。マントバにおける大作は1471~74年に制作したパラッツォ・ドゥカーレのカーメラ・デリ・スポージ(夫妻の居室)の壁画と天井画である。壁画は領主一族の屋内と屋外での集団肖像画であるが、人物の配列や個性描写の適確さにおいて、イタリア・ルネサンス絵画のなかでも傑出している。84年に新領主となったフランチェスコの要請により装飾画『カエサルの凱旋(がいせん)』(17世紀にイギリス国王チャールズ1世に売却され、ロンドン西郊ハンプトン・コートに現存)を描いたが、古代ローマについての正確な知識をもとにした独特の装飾効果を示している。そのほか彼の作品はヨーロッパ各地の美術館に散在するが、とくにミラノのブレラ美術館の『死せるキリスト』(1465~66)は、モノクロームに近い色彩効果によって精神の厳粛さと安らぎが暗示される、含蓄に富む表現をみせている。また彼は銅版画にも優れた作品を残している。
[濱谷勝也]