日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドナテッロ」の意味・わかりやすい解説
ドナテッロ
どなてっろ
Donatello
(1386ころ―1466)
イタリアの彫刻家。本名Donato di Niccolò di Betto Bardi。フィレンツェに生まれ、同地に没。美術家としてのスタートは、フィレンツェのサン・ジョバンニ洗礼堂北側門扉制作中のギベルティの助手としてであったことが、記録から知られる。師の工房を離れたのち最初に制作したのは大理石の『ダビデ像』(1408、フィレンツェ、バルジェッロ国立美術館)で、ここにみられる洗練された表面処理や輪郭線は、彼の初期の作品に導入されている国際的ゴシック様式の影響とみなされる。こうした優雅な表現からドナテッロ独自の威厳のある超人的人体像への転換を示すのが、オル・サンミケーレ聖堂の『聖マルコ像』(1412)であり、ここに示された生気ある古典主義的な人体表現は、大聖堂のカンパニーレ(鐘塔)のためにつくられた一連の預言者像(1427~36、現在は大聖堂付属美術館)に共通してみられる。しかし、彼の彫刻的表現の新機軸を示すものは、オル・サンミケーレに制作した『聖ジョルジョ像』(1416、バルジェッロ国立美術館)である。彼はこの彫像を建物とよりよく統合させようと、明確な透視図法による浮彫り「聖ジョルジョの悪竜退治」でその台座を飾った。彼の浮彫りは、その明暗効果によって絵画的な表現効果の可能性を求めるものであり、事実、光の扱い方において同時代の絵画表現の進展に寄与するところが大きかった。
1425年ごろから、建築家兼彫刻家ミケロッツォと協同して、サン・ジョバンニ洗礼堂の「対立教皇ヨハネス23世墓碑」、サン・タンジェロ・ア・ニーロ聖堂(ナポリ)の「枢機卿(すうききょう)ブランカッチ墓碑」、さらにプラート大聖堂の屋外説教壇などを制作。このうちブランカッチ墓碑の浮彫り「聖母被昇天」には、絵画的効果による劇的表現の可能性がよく示されている。31~33年ローマに滞在し、後期ローマおよび初期キリスト教時代の美術を学んだが、その成果は、フィレンツェ帰郷後に制作した『聖歌壇』、青銅の『ダビデ像』(ともにバルジェッロ国立美術館)、サンタ・クローチェ聖堂の『聖告』に反映されている。43年以降の10年間パドバに滞在し、サン・タントニオ聖堂の主祭壇(1448)、『ガッタメラータ将軍騎馬像』(1453)などを制作した。そして、帰郷後につくった木彫『マグダラのマリア像』(1456ころ、大聖堂付属美術館)は、彼の晩年の代表作であり、酷薄なまでの厳しい写実表現により、その後のフィレンツェ美術に深い影響を与えた。
[濱谷勝也]