ド・ムオイ(読み)どむおい(その他表記)Do Muoi

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ド・ムオイ」の意味・わかりやすい解説

ド・ムオイ
どむおい
Do Muoi
(1917―2018)

ベトナムの政治家。2月2日ハノイに生まれる。1936年から革命闘争に参加し、北部各省のベトナム共産党委員会書記、ハイフォン市の党委員会書記を経て1960年党中央委員となる。1969年副首相、1973年建設相兼務、1981年副首相、1982年党政治局員、1988年6月首相に、1991年6月党書記長に選出された。1997年12月書記長を辞して中央委員会顧問となり、2001年引退。

 独立(1945年9月)後のベトナムはフランス、アメリカ、カンボジア、中国と戦い、その間に南北統一を成し遂げて経済復興に着手した。しかし戦時型の統制経済によって経済状況は悪化した。そこで第6回党大会(1986年12月)からは新しい経済政策を取り入れた。新政策は「ドイモイ」(刷新)とよばれ、経済の自由化と市場原理の導入を図るものだった。改革開放によって「世界の最貧国」といわれるほどに行き詰まっていた経済を建て直そうとしたのである。ド・ムオイは、この時代に副首相、首相、党書記長として「ドイモイ」政策の強力な推進者として活躍した。

[丸山静雄 2018年10月19日]

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現代外国人名録2016 「ド・ムオイ」の解説

ド・ムオイ
Do Muoi

職業・肩書
政治家 元ベトナム首相,元ベトナム共産党書記長

国籍
ベトナム

生年月日
1917年2月2日

出生地
ハノイ

本名
グエン・ズイ・コン〈Nguyen Duy Cong〉

経歴
漆器職人を経て、フランス植民地時代の1936年から革命運動に参加。’39年インドシナ共産党(ベトナム共産党の前身)に入党。’41年フランス当局に逮捕され10年の刑を受けたが、3年後に出獄、地下運動に参加。’45年以降北部各省の党委書記を歴任。’55年ハイフォン市党委書記、’58年商業相、’60年ベトナム労働党中央委員、’69年北ベトナム副首相、’73年建設相兼任。南北統一後の’76年ベトナム副首相兼建設相。同年ベトナム共産党政治局員候補、’82年政治局員。’87年5月副首相を解かれ、書記局員(常務書記)兼務に。’88年6月首相に就任、刷新(ドイモイ)政策を推進。’91年6月グエン・バン・リン書記長の引退に伴い書記長に就任。同年首相退任。旧ソ連をはじめとする社会主義諸国との経済協力のスペシャリストといわれた。’95年4月来日。また同月国家元首として韓国を初訪問。’97年12月書記長を退任。ド・ムオイは本名ではなく、“ド”は脱獄、“ムオイ”は十を意味する。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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