改訂新版 世界大百科事典 「ナショナリスト協会」の意味・わかりやすい解説
ナショナリスト協会 (ナショナリストきょうかい)
Associazione Nazionalista Italiana
1910年に設立されたイタリアの政治団体。イタリア人移民の惨状などを背景として一部知識人の間で〈プロレタリアート国家イタリア〉という観念が20世紀初頭に生じる。ここから国家を強め,イタリアの国際的地位の向上を図るナショナリズム運動が起こるが,最初は文化運動としての性格が強かった。運動が進んでナショナリスト協会の結成をもたらし,これ以降政治運動の性格をとるようになる。協会の指導メンバーはコラディーニ,フェデルツォーニ,マラビリア,コッポラらで,週刊誌《イデア・ナツィオナーレIdea Nazionale》を発刊してその主張を展開した。協会のプログラムは第3回大会(1914)で登場したロッコによって明確化され,自由主義の否定と国家機構の強化,経営者も労働者もともに生産者として単一の組合に所属し協同する社会体制の建設が打ち出された。第1次大戦前後を通じてナショナリズム運動は少数者の運動にとどまったが,協会は重工業界と密接な関係を保って政財界に強い影響を及ぼした。第1次大戦では未回収地域(イレデンティズモ)の回復を求める民主派参戦主義の立場と違って,アドリア海の支配とバルカンへの進出をめざす膨張主義的な戦争目的を有した。また戦争の遂行によって国家の統制力を強化しようとする内政上の目的も有していた。大戦後の講和会議でダルマツィア地域のイタリアへの帰属が否定されると,そこなわれた勝利に対する不満を表し,ダンヌンツィオのフィウメ占領に積極的に加わった。一方,戦後の社会主義勢力の台頭に対して青シャツの武装行動隊を組織して対抗したが,黒シャツのファシスト行動隊に比べて規模は小さかった。大衆運動の基盤をもつファシスト党と厳格な国家論を有するナショナリスト協会は,ムッソリーニ政府の成立直後に合同し(1923年2月),ロッコとフェデルツォーニはのちのファシズム国家体制の確立に中心的役割を果たした。
執筆者:北原 敦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報