改訂新版 世界大百科事典 「イレデンティズモ」の意味・わかりやすい解説
イレデンティズモ
irredentismo
イタリア史の用語で,通常〈未回収地回復運動〉と訳される。イタリア王国は1861年に成立し,統一国家としての体裁を一応整えた。しかし,なおも外国の支配下におかれたイタリア人居住地域が残った。そうした未回収地域,なかでも66年のベネチア解放戦争後もオーストリアの統治下に残るトレンティノやトリエステ,ダルマツィア等のイタリアへの併合を求める運動および思想をイレデンティズモと呼ぶ。
イタリアがその自然国境線,歴史的国境線にまで到達しなければ真の民族的統一は達成されないとする点で,イレデンティズモはイタリアの統一をめざしたリソルジメント運動の延長上にあるといえる。事実,〈未回収地域terra irredenta〉という表現を最初に使ったインブリアーニをはじめ,イレデンティズモの中心的なメンバーは,例外なくリソルジメントの積極的な推進者たちであった。1870年代から1900年代にかけて,未回収諸地域での陰謀工作やイタリア国内での示威運動・組織化活動が続けられたが,これが統一以後の国内政治を動かす要素のひとつとなる。また,既存の国際秩序の変更を要求する性格の運動であるために,アドリア海やバルカン半島をめぐるイタリアおよび列強の政策とも複雑な相互作用を持つことになる。ひいては,第1次世界大戦へのイタリアの参戦を決定づける重要な要素となることも事実である。
既存の国内・国際秩序への異議申立てを含む運動として展開したイレデンティズモは,主としてリソルジメント左派,共和派の人々によって担われ,その点で反政府的な性格を持っていた。しかし,1890年代以降の国際状況の中で,運動の理念が次第にナショナリズムに傾斜していくに従って,イレデンティズモはイタリアの帝国主義的領土拡張要求を正当化する論理に転換していく。第1次大戦へのイタリアの参戦を決めたロンドン条約や戦後のフィウメ占領にその具体的な姿を見ることができる。
執筆者:柴野 均
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報