日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナズム・ヒクメト・ラン」の意味・わかりやすい解説
ナズム・ヒクメト・ラン
なずむひくめとらん
Nazim Hikmet Ran
(1902―1963)
トルコ共和国の詩人。現ギリシアのテッサロニキに、外交官の子として生まれる。祖父はオスマン帝国時代のテッサロニキ県最後の知事であった。イスタンブールの名門、ガラタサライ・リセー(高校)から海軍士官学校に進んだが、1918年中退し、20年にアナトリア(小アジア)のトルコ人による祖国解放運動に参加。その後、モスクワの勤労者大学で社会学、経済学を学ぶ。24年に帰国、詩作を発表し始めた。しかし、26年その作品が治安維持法に触れ、15年の重労働刑を求刑されると、モスクワに亡命し、母方の姓であるポーランド系のボルゼスキーを名のり、63年に心臓発作で没するまでの年月の多くをモスクワで過ごした。マヤコフスキーの影響を受けた自由詩を得意とし、代表作は叙事詩『人生のパノラマ』(1941)。
[永田雄三]
『中本信幸・服部伸六編・訳『ヒクメット詩集』(1963・飯塚書店)』