改訂新版 世界大百科事典 「ナーラーヤン」の意味・わかりやすい解説
ナーラーヤン
Jayaprakāsh Nārāyan
生没年:1902-79
インドのガンディー主義者。1922年にアメリカ合衆国に渡ってマルクス主義に接近し,29年帰国後は国民会議派内左派の立場で民族運動の指導者として活躍した。34年に国民会議派社会党創設。40年に逮捕されたが,42年に脱獄し翌年再逮捕されるまで武装闘争を含む地下活動を指導した。インド独立後は新政府への参加を拒否し,52年に人民社会党を創設。その間,思想的にマルクス主義からしだいに離れガンディー主義に接近した。51年にはガンディーの後継者といわれるビノーバ・バーベVinoba BhāveのブーダーンBhoodān(自発的土地寄進)運動に熱狂的に参加した。57年に人民社会党も離れ非政党民主主義を実践しようとした。
74年にビハール州で始まったインディラ・ガンディー政権の強権政治に反対する運動では,〈総体的革命〉を唱え反政府運動のシンボルとなった。75年6月の非常事態宣言で逮捕されたが,77年3月の総選挙ではインディラ・ガンディー政権に反対して結成されたジャナタ党の生みの親として,その勝利に寄与。
執筆者:清水 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報