ニキラウダ(英語表記)Niki Lauda

現代外国人名録2016 「ニキラウダ」の解説

ニキ ラウダ
Niki Lauda

職業・肩書
元F1ドライバー メルセデスAMGペトロナス非常勤会長 元ジャガー最高責任者

国籍
オーストリア

生年月日
1949年2月22日

出生地
ウィーン

本名
Lauda,Andreas Nikolaus

経歴
ウィーンの裕福な実業家の家に生まれる。1971年オーストラリアGPにマーチフォードからF1デビュー。’74年フェラーリ入りし、’75年世界チャンピオンとなるが、’76年西ドイツGPで大クラッシュに遭い大やけどを負った。40日後奇跡のカムバックを果たし、’77年に再び世界チャンピオンに返り咲いた。’79年に優勝17回の実績をもって一旦引退。同年オーストリアでラウダ航空を設立。’81年サーキットに戻り、’82年マクラーレンに入る。2年余のブランクにもかかわらず復帰後3戦目で優勝。’84年3度目の総合チャンピンの座に就く。’85年オランダGPで優勝。同年引退。GP通算171回出場、優勝25回。その後、フェラーリのアドバイザー就任。’93年国際モータースポーツ殿堂入り。2001年2月ジャガーの責任者としてF1界に復帰し、8月最高責任者。2002年12月退任。2003年ニキ航空を設立して、CEO(最高経営責任者)となり、テレビのF1中継解説者も務めた。2012年9月F1チームのメルセデスAMGペトロナス非常勤会長。2013年F1時代のライバル、ジェームス・ハントとの勝負人間関係を描いた映画「ラッシュ/プライド友情」が製作される。野球帽トレードマーク

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

知恵蔵mini 「ニキラウダ」の解説

ニキ・ラウダ

レーシングドライバー、実業家。本名アンドレアス・ニコラス・ラウダ。1949年2月22日生まれ、オーストリア・ウィーン出身。製紙工場を所有する資産家の家に生まれる。66年、ドイツでのF1世界選手権を観戦してレーサーを志すが、家業を継がせたい家族はレース活動に協力的でなく、自らスポンサー獲得の交渉を行うなど金銭面での苦労を重ねた。71年、オーストリア・グランプリでマーチからF1デビューを飾り、翌年には同チームの正ドライバーとなった。フェラーリに所属した75年、初の総合優勝を達成した。76年、ドイツ・グランプリ中に起きた事故で大やけどを負ったが、6週間後にはレースに復帰。この復活劇から「不死鳥」の異名をとり、77年と84年にも総合優勝している。引退後は航空会社を設立するなど、実業家としても手腕を発揮した。2019年5月20日、70歳で死去した。

(2019-5-23)

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367日誕生日大事典 「ニキラウダ」の解説

ニキ ラウダ

生年月日:1949年2月22日
オーストリアの実業家;元・F1ドライバー

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