ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニザームル・ムルク」の意味・わかりやすい解説
ニザームル・ムルク
Niẓāmu'l-Mulk, Abū `Alī Ḥasan ibn `Alī Ṭūsī
[没]1092.10.14. ネハーバンド近郊
イランの政治家。セルジューク朝に仕え,アルプ・アルスラン (在位 1063~72) およびマリク・シャー (在位 72~92) の宰相をつとめ,ニザームル・ムルク (国家の秩序) の号を得る。イクター制を中心として同朝の支配体制を整備すると同時に,各地にニザーミア学院や天文台を設立 (1075) ,オマル・ハイヤームたちにジャラーリー暦を制定させた。またモスクその他の公共施設を建て,スンニー派イスラム体制の強化をはかり,ファーティマ朝やイスマーイール派の攻勢に対抗。しかし 1092年,イラン西部のネハーバンド付近で,アサッシン派の刺客に殺された。その著『統治の書』 Siyāsat-nāmeはセルジューク・スルタンのための政治の要諦を記したもので,重要な史料であるとともに,ペルシア語散文文学の最高傑作の1つ。
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