ニザームル・ムルク(その他表記)Niẓāmu'l-Mulk, Abū `Alī Ḥasan ibn `Alī Ṭūsī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニザームル・ムルク」の意味・わかりやすい解説

ニザームル・ムルク
Niẓāmu'l-Mulk, Abū `Alī Ḥasan ibn `Alī Ṭūsī

[生]1018/1019. トゥース
[没]1092.10.14. ネハーバンド近郊
イランの政治家。セルジューク朝に仕え,アルプ・アルスラン (在位 1063~72) およびマリク・シャー (在位 72~92) の宰相をつとめ,ニザームル・ムルク (国家の秩序) の号を得る。イクター制を中心として同朝の支配体制を整備すると同時に,各地にニザーミア学院や天文台を設立 (1075) ,オマル・ハイヤームたちにジャラーリー暦を制定させた。またモスクその他の公共施設を建て,スンニー派イスラム体制の強化をはかり,ファーティマ朝やイスマーイール派攻勢に対抗。しかし 1092年,イラン西部のネハーバンド付近で,アサッシン派刺客に殺された。その著『統治の書』 Siyāsat-nāmeはセルジューク・スルタンのための政治の要諦を記したもので,重要な史料であるとともに,ペルシア語散文文学の最高傑作の1つ。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

関連語 イクター制

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む