イクター(英語表記)iqṭā`

改訂新版 世界大百科事典 「イクター」の意味・わかりやすい解説

イクター
iqṭā`

カリフスルタンから授与された分与地を意味するアラビア語。その保有者をムクターmuqṭa`という。法学者の分類によれば,イクターは〈私有のイクター〉と〈用益のイクター〉とに分かれる。前者の授与はすでに7世紀のムハンマド時代から行われ,歴史史料はこれを同じ分与地の意味でカティーアqaṭī`aと呼ぶ。軍人に限らず,官僚や部族民に対してもそれぞれの功績に応じて小規模の荒蕪地や耕地が与えられ,より大規模な私有地であるダイアḍay`aとともに大土地所有形成の基礎となった。ムクターは国家に対するウシュル税納入の義務を負っていたが,彼らはやがて免税特権を獲得して納税を免れるようになったから,9世紀以降の国家財政はしだいに困窮の度を加えていった。しかもマムルーク軍人の台頭に伴うカリフ権力の衰退や徴税機構の弛緩,および軍人に対する俸給支払額の増大などが重なったために,10世紀半ばごろまでにはアッバース朝の国家財政は完全に破綻していた。ここに,ブワイフ朝(932-1062)のイラク征服(946)を契機として,軍人にイクターを授与し,直接土地の管理と徴税権とをゆだねる新しい体制が始まった。これがいわゆる軍事イクター制であり,法学者のいう〈用益のイクター〉に相当する。これがヨーロッパの封建制度(レーエン制)と対比して論じられることもあるが,その授受が双務的ではなかった点でレーエン制とは本質的に異なる。

 成立当初の軍事イクター制は,イラクのサワード地帯を対象にして行われた。ブワイフ朝の大アミールは,(1)カリフや高官たちが所有していたダイアからの徴税権と,(2)村落の有力者が所有する小規模なダイアからの政府の取り分とを,イクターとして分与した。初期のイクターと比較して,(2)が授与の対象とされ,また(1)(2)いずれの場合にも,土地の所有権は授与されていないところに軍事イクター制の新しさがあったといえよう。軍人たちは俸給(アター)の代りにイクター収入を主要な財源とするにいたったが,ムクターの中にはマムルークやダイラム人以外に,大アミールに服属した遊牧民の首長や反乱の指導者も含まれていた。イクター制がやがてイラクからイランシリアエジプトへと広まっていったのは,イクターの授与が単に俸給問題の解決策として用いられるだけでなく,軍人や有力者と君主とのきずなの強化,つまり国家秩序の形成にも重要な役割を果たしていたからにほかならない。

 次のセルジューク朝(1038-1194)も,建国当初からブワイフ朝のイクター制をほぼそのままの形で踏襲した。宰相ニザーム・アルムルクは,イクター保有権と行政権とが結びついたアミールの大イクターについても,軍事奉仕の義務を明確に定めて国家の統制を強化したが,12世紀以後になるとこれらのアミールは自らのイクターを世襲化し,独立化の傾向を強めていった。ザンギー朝(1127-1222)をはじめとして各地に成立したアター・ベク政権はその典型である。セルジューク朝の分裂後,イラン・イラクを支配したイル・ハーン国(1258-1353)は,国庫の欠乏を補うためにモンゴル軍人に対し王室領や遊牧地をイクターとして分与した。14世紀以降のイランではソユールガールの授与が一般化し,サファビー朝(1501-1736)時代になると,これに加えてトゥユールが授与されるようになった。しかし,これらはいずれも軍事奉仕の見返りとして国家から授与された土地であって,それ以前のイクターと本質的に異なるところはなかったといえよう。セルジューク朝の系譜を引くザンギー朝のイクター制は,サラーフ・アッディーンによってエジプトに導入された。エジプトではイクターが世襲されることはほとんどなかったが,ザンギー朝の伝統が残るシリアでは逆に世襲が一般的であった。次のマムルーク朝(1250-1517)でも,イクター制は国家と社会を規定する基本制度として機能し続け,軍隊制度の整備に伴って軍人の位に応じたイクター授与の体系化が著しく進んだ。オスマン帝国(1299-1922)では規模の大小に応じてハースhas,ゼアーメトzeamet,ティマールの3種の土地分与が行われたが,イクターと同じ性格の土地はシパーヒー(騎士)が保持する比較的小規模のティマールであった。しかしティマール制は16世紀中ごろには早くも解体への兆しを見せ始め,またエジプト・シリアでも,17世紀半ばにはティマール制からイルティザーム徴税請負)制への全面的な切替えを余儀なくされるにいたった。

 イクター保有権はマンシュールと呼ばれる授与文書によって保証されたが,その授与は,君主に対する服従を条件として,直接軍人に手渡されるのが原則であった。ムクターはイクター収入を用いて一定数の騎士を養い戦時にはこれらの従者を率いて参戦することを義務づけられていた。しかしイクターの規模に応じて従者の数が明確に定められるようになったのは,イラン・イラクではセルジューク朝中期以後,エジプト・シリアではマムルーク朝時代以降のことである。アミールには都市とその周辺や村落がイクターとして与えられ,下位の軍人には村落の一部か,あるいは商品税や通行税などの雑税収入が授与された。ムクターの多くは都市に居を構え,収穫期になると,自らの奴隷兵や書記(カーティブ)を代官として農村に派遣した。彼らは租税徴収の権限をもつと同時に水利機構を管理・維持する責任を負っていたが,ブワイフ朝のように政府の統制が弱い場合には,農民の実情を無視した収奪が行われ,多くの農村が荒廃した。また理念のうえでは,イクター保有権は徴税権に限られていたが,実際にはムクターの支配と保護のもとに置かれることによって,軍人に対する農民の隷属化がしだいに進行した。しかもイクター保有による農村からの富を都市に集中したムクターは,やがて都市の経済をもその勢力下に置くようになった。マムルーク朝時代のエジプトにみられるように,イクターの改廃はスルタンによって自由に行われたにもかかわらず,大ムクターであるアミールは,その権利をかなり私的に行使することが可能だったのである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イクター」の意味・わかりやすい解説

イクター
iqtā`

カリフやスルタンから分与された徴税権,ないしは土地や村落を意味するアラビア語。イスラム法理論家の見解によれば,イクターは国家から個人に対して授与された私有地 iqtā`al-tamlīkと,俸給の代りに授与された税収入 iqtā` al-istīghlālとに分類される。初期イスラム時代にはカティーア qatī`aと呼ばれることが多く,これがアラブによる大土地所有形式の1つの基礎になっていた。 10世紀後半になるとブワイフ朝のムイッズ・アッダウラ (在位 932~967) はダイラム人傭兵に対し,俸給の代りとして国有地からの徴税権を譲渡した。これ以降,西アジア社会にこの軍事イクター制が次第に広まってゆき,軍事制度や土地制度をはじめとして国家制度全体を規定する基本的な要素となった。セルジューク朝の宰相ニザームル・ムルクはイクター所有の規模に応じてイクター所有者 muqta`の軍事奉仕の義務を体系化し,これがシリアのザンギー朝,さらにはエジプトのアイユーブ朝,マムルーク朝へと継承されていった。ペルシアのソユールガール制やトルコのディルリク制 (ティマール制) も本質的にはこのイクター制と同一の制度である。イクター制の廃止政策がとられたのは,19世紀になってからであり,エジプトではムハンマド・アリーの近代化政策以後,トルコではタンジマート以降のことであった。現代のアラブ社会ではイクター制は「封建制」とほぼ同じ意味で用いられている。

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世界大百科事典(旧版)内のイクターの言及

【勧農】より

…アッバース朝政府もこの政策を踏襲し,水利機構の管理や耕作の監督を各地に派遣した徴税官(アーミル)の業務にゆだねた。しかし10世紀半ばにイクター制が成立するとイマーラはイクター保有者である軍人の義務となり,政府の統制が弱いブワイフ朝下のイラクでは,イマーラを無視した収奪が行われたために多くの農村が荒廃に帰したといわれる。一方,アイユーブ朝(1169‐1250)やマムルーク朝(1250‐1517)治下のエジプト・シリアでは,地方総督(ワーリー)の監督下にイクター保有者によるイマーラが比較的順調に行われた。…

【ソユールガール】より

…しかし,14世紀以降のイランでは,遊牧社会における主従関係,生産と土地所有の関係だけを示す概念ではなくなり,農業的な諸関係をも含んだ土地所有の概念として使われるようになった。イル・ハーン国の末期まで土地所有の主要な形態であったイクター制を継承・発展させるものがソユールガールと考えられた。 イクターでは,俸給の代りに授与された徴税権を伴う分与地に対して,軍人の権利はあくまでも一時的な保有関係であり,農民に対する支配権を認められていなかった。…

【プロノイア】より

…その結果,まず国家の地方財政管理組織の解体が,ひいては徴税権をゆだねられた者への当該地域の住民の隷属化が生まれることになった。この点でプロノイアは,同制度とよく比較される同時代の西ヨーロッパ封建制度における封土(レーン)や,イスラムのイクターのうち,とくに後者と部分的に共通する性格を有する。【渡辺 金一】。…

【ワキール】より

…商業においてワキールが独自の役割を果たしたのは中世半ばまでである。 商業上のワキールと並んで,歴史的に重要なのは,ダイアとかイクターなど土地所有者のワキールである。この場合は代官とでも訳すのが適当であろう。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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