改訂新版 世界大百科事典 「ハムギ」の意味・わかりやすい解説
ハムギ (咸宜
)
Ham Nghi
生没年:1872-1947
グエン(阮)朝ベトナム第8代皇帝。在位1884-85年。第4代トゥドゥック(嗣徳)帝のおい。幼名はフォックミン(福明)。トゥドゥック帝の死(1883)後,ズクドゥック(育徳)帝,ヒエップホア(協和)帝,キエンフォック(建福)帝が次々と権臣に擁立されては廃されたが,1884年グエン・バン・トゥオン(阮文祥),トン・タット・トゥエット(尊室説)がフォックミンを即位させ,翌年を咸宜元年とした。しかし84年の第2次フエ条約によりベトナム全土は三分され,南部はフランスの直轄地,北部は保護領になり,中部のみが保護国としてようやく支配しうるのみであった。ハムギ帝は即位後1年の85年7月5日,トン・タット・トゥエットとともに突如フエのフランス駐留軍を攻撃し,そのままフエを離れてアンナン山脈の奥深くに潜行し,全国のバンタン(文紳)に勤王の檄を発した。以後1913年にいたるまで対仏反乱が北・中部の山岳地帯で続いた。フランス軍はハムギの兄をたててドンカイン(同慶)帝としたが,ハムギは依然皇帝を称して各ゲリラ軍の指導にあたった。しかし88年11月,クアンチの山中で部下の密告によりフランス軍に捕らわれてアルジェリアに流され,1947年かの地で死去した。前近代における反仏民族運動のシンボル的存在であった。
執筆者:桜井 由躬雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報