ベトナム中部,アンナン地方の古都。人口27万7000(2004)。フランス語風にユエとも呼ばれ,漢字では順化と書く。標高15m,南シナ海海岸から約16km内陸の海岸平野にあり,市の中央をフォンザン川(香江)が流れる。この町はすでに3世紀にはチャム族に占拠され,10世紀には彼らの建てたチャンパ王国の中心でもあった。しかしベトナム人の南進に伴い,チャンパの勢力は衰え,14世紀には完全にベトナム人の勢力範囲に入り,さらに18世紀後半の国内の内乱,いわゆるタイソン(西山)党革命の際にはタイソン党の拠点の一つとなった。1802年に国内を統一したザロン(嘉隆)帝が新たにグエン(阮)朝の首都と定めた。1883年フランス軍に占領され,フエ(アルマン)条約によりグエン朝ベトナムはフランスの保護国とされた。市街はフォンザン川の両岸に広がり,左岸には旧王城や要塞,ベトナム人居住区があり,右岸はかつてフランス人の居住区であった。王城はザロン帝の建設したもので,中国風の様式をもち,南にフォンザン川を控えた約500haの面積を占める。皇帝の居住する紫禁城は最も南にあって多くの建物に囲まれ,その北には政府の諸機関や儀礼に使われる広場があった。フランスの保護国になって以後もグエン朝の皇帝は第2次大戦末まで住んでいた。〈ベトナムの京都〉ともいわれ,落ち着いた上品な雰囲気が特色であった。ベトナム戦争で市街は大きな被害を受けたが,現在は復興しつつある。博物館にはチャム族以来の遺物を納め,付近には史跡も多い。郊外のグエン朝歴代陵墓もその一つで,ここでも数々の芸術品がみられる。
執筆者:別技 篤彦
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ベトナム中部の都市。フエはこの地方をさす「順化」の「化」が訛った俗語地名。阮(グエン)氏(広南国)が17世紀末に富春(フースアン)都城を建設,阮福暎(グエン・フック・アイン)(嘉隆(ザーロン)帝)が全国を統一した1802年から1945年まで阮朝の首都だった。北京の紫禁城を模した王宮,郊外の各皇帝陵など遺跡が多く,ユネスコの世界文化遺産に指定されている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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