デジタル大辞泉
「フエ」の意味・読み・例文・類語
フエ(Hue)
ベトナム中部、トゥアティエンフエ省の都市。同省の省都。首都ハノイとホーチミンのほぼ中間に位置し、フォンザン川が流れる。1806年に阮朝の首都、1883年に安南の首府となった。城壁に囲まれた旧市街には王宮、寺院、霊廟などの史跡が多く、1993年に「フエの建造物群」の名称で同国初の世界遺産(文化遺産)に登録された。ユエ。
[補説]「ユエ」はフランス語読みによる。「順化」とも書く。
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フエ
- ( Hué ) ベトナム中部の都市。一七世紀からクアンナム王朝の、一八〇二~一九四五年はグエン王朝の首都であった。フエ川に臨む。漢名、順化。フランス語名ユエ。
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フエ
Hue
ベトナム中部,アンナン地方の古都。人口27万7000(2004)。フランス語風にユエとも呼ばれ,漢字では順化と書く。標高15m,南シナ海海岸から約16km内陸の海岸平野にあり,市の中央をフォンザン川(香江)が流れる。この町はすでに3世紀にはチャム族に占拠され,10世紀には彼らの建てたチャンパ王国の中心でもあった。しかしベトナム人の南進に伴い,チャンパの勢力は衰え,14世紀には完全にベトナム人の勢力範囲に入り,さらに18世紀後半の国内の内乱,いわゆるタイソン(西山)党革命の際にはタイソン党の拠点の一つとなった。1802年に国内を統一したザロン(嘉隆)帝が新たにグエン(阮)朝の首都と定めた。1883年フランス軍に占領され,フエ(アルマン)条約によりグエン朝ベトナムはフランスの保護国とされた。市街はフォンザン川の両岸に広がり,左岸には旧王城や要塞,ベトナム人居住区があり,右岸はかつてフランス人の居住区であった。王城はザロン帝の建設したもので,中国風の様式をもち,南にフォンザン川を控えた約500haの面積を占める。皇帝の居住する紫禁城は最も南にあって多くの建物に囲まれ,その北には政府の諸機関や儀礼に使われる広場があった。フランスの保護国になって以後もグエン朝の皇帝は第2次大戦末まで住んでいた。〈ベトナムの京都〉ともいわれ,落ち着いた上品な雰囲気が特色であった。ベトナム戦争で市街は大きな被害を受けたが,現在は復興しつつある。博物館にはチャム族以来の遺物を納め,付近には史跡も多い。郊外のグエン朝歴代陵墓もその一つで,ここでも数々の芸術品がみられる。
執筆者:別技 篤彦
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フエ
Hue
ベトナム中部,トゥアティエンフエ省の省都。ユエとも呼ばれるが,これはフランス語読み。首都ハノイの南南東約 550km,南シナ海沿岸の狭い海岸平野にあり,背後にアンナン山脈の前山が迫る。前 200年頃の記録に中国の軍事拠点として現れる古い町で,200年頃からはチャム族の支配下に入ったが,14世紀初め南進してきたベトナムに併合された。 17世紀グエン氏 (→阮氏 ) の居城を中心に城下町が築かれ,グエン王朝の成立 (1802) 後,ザロン帝 (→阮福映 ) がハノイから遷都して本格的に発展し始め,1945年バオ・ダイ (保大) 帝が退位するまで王都として繁栄した。現在商工業の中心地で,綿織物,絹織物,製材,セメント,精米などの工業がある。また同国中部の文化の中心地でもあり,フエ大学 (1957) をはじめとする教育機関が集まる。アンナン山脈に源を発するフオン川 (香河) が市内を貫流し,その左岸に旧市街が,右岸にはフランス保護領時代 (1883~1945) に発達したヨーロッパ風の市街や商業地区が広がる。ベトナム戦争中,1968年のテト攻勢の際に戦場となり,市街は相当破壊された。市内外には旧王宮のほか,歴代皇帝の墓,ティエン・ムー寺などが保存され,1993年世界遺産の文化遺産に登録。国道1号線,トンニャット鉄道,航空路により南北の二大都市,ホーチミンとハノイと結ばれる。人口 21万 1085 (1989) 。
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フエ
ベトナム中部の古都。ユエとも。漢字では順化。南シナ海岸から約8km,フォンザン川(香河)河岸にあり,商業中心地で,精米,製材,象牙(ぞうげ)細工などが行われる。3世紀ころチャム人の拠点となり,10世紀にはチャム人の国チャンパの都となった。19世紀以降阮朝の首都として繁栄し,壮麗な建築物が多かったが,1968年2月にベトナム戦争の激戦場となって大半が破壊された。フエの現存する歴史的建造物群は1993年世界文化遺産に登録された。21万9149人(2002)。
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フエ
Hue
ベトナム中部の都市。フエはこの地方をさす「順化」の「化」が訛った俗語地名。阮(グエン)氏(広南国)が17世紀末に富春(フースアン)都城を建設,阮福暎(グエン・フック・アイン)(嘉隆(ザーロン)帝)が全国を統一した1802年から1945年まで阮朝の首都だった。北京の紫禁城を模した王宮,郊外の各皇帝陵など遺跡が多く,ユネスコの世界文化遺産に指定されている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
フエ
フエはベトナム中部に位置し、19世紀には、ベトナム最後の王朝阮朝の都がおかれました。ゆったりと流れるフオン河のほとりに王宮、寺院、皇帝廟と風格のある建物が点在する落ちついたたたずまいの町です。ベトナム最後の王朝、阮グエン王朝の都フエは、「建築上のポエム」と呼ばれており、フエの建造物群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。 フランス式の城郭と中国風の王宮は、絶えず大国に抵抗してきたベトナムの歴史を物語っています。
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フェ【(朝鮮)】
朝鮮料理の一つで、魚介類や肉類の朝鮮風の刺身。チョコチュジャンやわさびじょうゆをつけて食べることもあるが、サンチュやえごまの葉などの葉野菜で、にんにくや青とうがらし、チョコチュジャンやサムジャンなどの合わせ味噌とともに包んで食べることが多い。魚の刺身は、1匹単位で注文するのが一般的。
出典 講談社和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典について 情報
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例