ミルチヤ老公(読み)ミルチヤろうこう(英語表記)Mircea cel Bǎtrîn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミルチヤ老公」の意味・わかりやすい解説

ミルチヤ老公
ミルチヤろうこう
Mircea cel Bǎtrîn

[生]?
[没]1418
ワラキア公 (在位 1386~1418) 。ダン1世の弟。初めポーランド,次いでハンガリーと結んで南方に進出し,ドブルジャを獲得。 1389年オスマン帝国に対するバルカン諸国連合軍の戦いに参加。 91,94年の3回にわたりオスマン帝国軍の来襲阻止。しかし 94年ミルチヤの強権的支配に不満をいだいた大貴族の抵抗にあい,ポーランド,オスマン帝国と結んだブラド簒奪公に公位を奪われた。ハンガリーの支援で 97年復権,オスマン帝国軍を撃退。 1401~06年チムールの来襲によるオスマン帝国の混乱に乗じて黒海沿岸に領土を拡大した。 09~16年オスマン帝国の内政干渉,セサロニキに遠征して敗北し,17年領土の保全信仰の自由を条件に帝国の宗主権を承認した。

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世界大百科事典(旧版)内のミルチヤ老公の言及

【ワラキア】より

…この時期に公国の独立を守るために戦った公としてミルチャMircea老公(在位1386‐1418)とブラド串刺し公(在位1448,56‐62,76)がいる。ミルチャ老公はハンガリーと同盟を結んでオスマン帝国軍と戦い,再三これを撃退したが,1415年に独立の維持と引換えに初めてスルタンへの3000ドゥカート(金貨)の貢納を認めた。ハンガリーの名将フニャディの保護を受けたブラド串刺し公もスルタンの率いる軍隊を迎え討ち,ゲリラ戦法を用いてこれを苦しめたが,これらの戦闘でめざましい働きを示したのは公への忠誠心の厚い自由な共同体の農民であった。…

※「ミルチヤ老公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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