出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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ブルガール人
ブルガールじん
Bulgarians
ブルガリア人の母体となったトルコ系民族
7世紀の前半,アゾフ海周辺に遊牧していたブルガール人は,クブラトの下で統一されたが,彼の死後分裂した。クブラトの第3子アスパルフに率いられた一派は,バルカン半島に移住してドナウ川下流のモエシアで自立し,681年に第1次ブルガリア王国を建てる。この間にスラヴ化が進み,9世紀のボリス1世の時代にはギリシア正教に改宗し,10世紀初頭のシメオン1世時代にはツァーと称した。1018年にビザンツ帝国により併合されたが,1187年に第2次ブルガリア王国を再建,14世紀の末にオスマン帝国に敗れるまで続いた。いっぽう,クブラトの第2子コトラーグに率いられた一派は,ヴォルガ川上流地域に移住してハザール−ハン国に服属。のちにイスラームを受け入れて独立し(ブルガール−ハン国),東西貿易の中継地点として繁栄し,定住化が進んだ。モンゴルの支配下にはいってからも経済力を維持したが,1361年ティムールに敗れ,ロシア諸国との戦争によって15世紀前半には衰退した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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ブルガール人
ブルガールじん
Bulghar; Bulgarians
起源については不明な点が多いが,一説にアゾフ海沿岸のトルコ系の遊牧民であったといわれる。5~7世紀頃一部はボルガ川中流域に移住,ブルガール (ブルガリア) ・ハン国を形成。イスペリフに率いられた一部はバルカン半島東部に移住,ブルガリア帝国を形成したが,漸次スラブ化していった。ブルガール・ハン国を形成したブルガール人は,10世紀頃イスラム教徒となり,毛皮貿易を繁栄させた。 11~12世紀にかけて首郡ブルガールをはじめとする都市も発達,ブルガール・ハン国は最盛期を迎えたが,やがてモンゴル族に征服され (1237) ,さらに 15世紀以降南下してきたロシアの圧迫のもとで滅亡した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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