改訂新版 世界大百科事典 「パチョーリ」の意味・わかりやすい解説
パチョーリ
Luca Pacioli
生没年:1445ころ-1517
ルネサンス期イタリアの数学者。ローマの北方の小都市ボルゴ・サン・セポルクロに生まれ,商業に従事するかたわら数学を学んだ。フランシスコ会修道士であった。数学教師としてイタリア諸都市の宮廷,ペルージア大学などで教えた。1497年,ミラノ公ルドビーコ・スフォルツァの宮廷に招かれ,そこでレオナルド・ダ・ビンチと知り合い,99年にはフィレンツェへともに旅したことは有名である。その後,ピサ大学,ボローニャ大学で講義をしている。主著の《算術,幾何学,比と比例大全》は1494年ベネチアで刊行され,アラビア式筆算代数学をキリスト教世界に同化しようとしたフィボナッチ以降の成果を集成している。16世紀イタリアのG.カルダーノ,N.タルターリア,R.ボンベリらの数学研究の出発点となった点で特筆される。この書の1章は〈ベネチア方式〉,つまり〈複式簿記〉を刊行物として初めて公表したものであった。イタリア語で書かれていたためこの書は広く普及した。1509年刊行の《神的比例論》は,黄金比論,ウィトルウィウスに基づく建築論,ピエロ・デラ・フランチェスカの《正立体論》のイタリア語訳を含む。この書物の第1部の挿絵はレオナルドがかいたものである。パチョーリはさらに,ユークリッドの《ストイケイア》のラテン語訳をも刊行した(1509)。これは中世後期にもっとも広範に用いられたカンパヌスN.Campanus(?-1296)編集のものを基礎にした補訂版であった。
執筆者:佐々木 力
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報