イタリアのボローニャにある総合大学。イタリアでは中世都市の勃興に伴って,各地に法学や教養諸学を教える学校が出現した。ボローニャでは10世紀にすでに法学と教養諸学の学校が存在していたといわれるが,11世紀末にペポ,12世紀にイルネリウスがローマ法を教え,グラティアヌスが教会法を教えて,法学校が著名となった。これら法学校の学生が当時の組合結成という一般的運動の中で,自治団体としての学生組合universitasを形成して,世界最古の自然発生的な中世大学studium generaleが成立した。その成立時期については不明であるが,通常,1158年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が法学生に対して与えた特権の特許状(habitaと略称される)によって初めてその存在が公認されたとされる。学生組合はアルプス以北とアルプス以南の二つの組合からなり,それぞれが学頭rectorの下に学生の出身地別に構成された国民団natioを有していた。アルプス以北の組合にはドイツ,フランス,スペインなど十数個にのぼる国民団が含まれ,全ヨーロッパから多数の学生が参集していた。
教師組合collegiumは学生組合とは別個に存在し独自の加入認定権をもっていた。しかし14世紀に都市によるサラリー支給が始められるまで,教師は学生の支払う授業料に依存していたため,実際の教授行為を行う教師を選定する権利は学生が保持し,教師は学生組合の学頭に服従させられていた。このような学生組合を主体としたボローニャ大学は,教師組合を主体としたパリ大学と好対照をなす。また,パリ大学が神学研究を中心としたのに対して,ボローニャ大学は法学研究を中心とし,バルトルスなど多くの著名法学者を擁してローマ法学の復興に貴重な貢献をした。法科以外の学生は医科・教養諸科の組合を形成して,法科と類似の組織を有したが,優勢な法科組合に従属させられていた。
14世紀には近代解剖学の父と呼ばれたモンディーノに代表される医学の名声が高まるにつれて,医科・教養諸科の組合は法科から独立して,ボローニャ医学は中世医学史に重要な位置を占めることとなった。神学は実用的学問が重視されたイタリア大学に位置を占めるのが遅く,ボローニャでは1364年に神学科が加えられた。13~14世紀にボローニャから派生して出現した中世大学も多く,その後のヨーロッパの大学設立にパリ大学とは異なったモデルを提供することとなった。1506年以降教皇庁の支配下に置かれてからは,大学の自治権が徐々に侵され,1604年にはその象徴であった学頭職も廃止された。さらに18世紀末のフランス支配下において教師組合が廃止されて教師は学位授与権を喪失し,伝統的な組織機能は崩壊した。イタリア統一以後に改革されて近代的な大学となったボローニャ大学は,1996年現在,法学,経済学,政治学,文学,教育学,医学,数理・自然科学,応用化学,薬学,工学,農学,獣医学などの13学部,学生数約9万人を擁している。
執筆者:児玉 善仁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ボローニャにある国立総合大学で,パリ大学(フランス)と並ぶ世界最古の大学とされる。八百年祭の際に1088年が創立年と定められたが,自生的に出現したため明確な創立年は存在しない。11~12世紀に活躍したイルネリウスなどの著名な法学者の下にヨーロッパ各地から学生が参集して,12世紀末から次第に学生の自治団体組織としての大学(universitas)が成立した。そのため法学の学生主体の大学であり,排除された教師は独自に学位授与団体(collegium)を形成した。パリ大学が神学を中心とした教師と学生の自治団体として出現したのと対照的である。14世紀には解剖学のモンディーノに代表される医学の名声が高まって,法学部から医学・教養諸学部が独立するとともに,神学部も新たに加えられた。1506年以降教皇庁の支配下に置かれてから,大学本部となる建物が整備される一方,大学の自治権が徐々に侵され,1604年にはその象徴であった学生学頭職(イタリア)も廃止された。さらに18世紀末のフランス支配下において教師団体が廃止されて教師は学位授与権を喪失し,伝統的な組織機能は崩壊した。
イタリア統一以後に改革されて近代的な大学となり,ヨーロッパの伝統的大学の一つとして重要な位置を占め,1988年の九百年祭に集まったヨーロッパの大学学長たちによってボローニャ宣言が出された。これは大学のマグナ・カルタと言われ,その後のボローニャ・プロセスの方向を定めるものとなった。近年の改革によって,2013年には11スクオーラ,33学科。2011年の正教授776人,准教授882人,研究員1192人,2015/16年の登録学生数約7万8500人。
著者: 児玉善仁
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
イタリアのボローニャにある国立大学。11世紀の創設と推定され、パリ大学とともに世界最初の大学として、世界の大学制度の原型となった。当初、ローマ法を講じるイルネリウスの講義を聴くためヨーロッパ各地から集まってきた学生が結成した組合団体Universitasから発生し、「あらゆる地域の学生が集まる学苑(がくえん)」を意味するStudium Generaleともよばれた。1158年、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ・バルバロッサの特許状を得て、法学研究を主とする大学として公認され、13世紀にはローマ法王からも認可を受けた。そのころすでに医学、神学、哲学の各学部が設置され、14世紀には数学部も加えられた。とくに医学部は世界で最初に解剖学の教授と実習を行った学部であり、南ヨーロッパの学術の中心となり、おびただしい数の学生を各地からひきつけた。ダンテやペトラルカもここで教鞭(きょうべん)をとった。1802年、国立大学となり、多大の自治権を有しつつ、財政的には国家とその他の財源でまかなわれている。現在は、経済学、法律学、文芸・哲学、教育学、心理学、医学、数学、物理・自然科学、工業化学、薬学、工学、農学、獣医学などの17学部を擁する、同国の代表的な総合大学となっている。2000年現在、学生数約10万人とイタリアでもっとも大きい大学の一つである。
[喜多村和之]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ヨーロッパ最古の大学。10世紀には法学校が存在していたともいわれるが,1158年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世によって特許状を与えられたことにより公認された。ローマ法復興の拠点としてヨーロッパ全土から多数の学生を集め,14世紀には医学でも名声を博した。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…カリキュラムと学位制度に支えられた教育機関と,学徒の人的団体としてのギルドとが結合したところに,過去に類例をみない,そして現代にまで連続する〈大学〉という新しい教育組織が成立したといえる。
[中世大学の成立と発展]
すでに12世紀後半から13世紀初めにかけて,〈自生的大学〉と呼ばれるボローニャ大学,パリ大学,オックスフォード大学などの大学が形成されている。この際,ボローニャでは比較的年齢の高い法学生のギルドが中核となり,パリでは学芸学部の教師(多くは上級学部の学生)のギルドが大学を形成し,ともに他の中世大学の模範となった。…
※「ボローニャ大学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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