日本大百科全書(ニッポニカ) 「スフォルツァ」の意味・わかりやすい解説
スフォルツァ
すふぉるつぁ
Carlo Sforza
(1872―1952)
イタリアの外交官、政治家。1896年に外務省に入り、外務次官(1919~1920)を経て、第五次ジョリッティ内閣(1920~1921)に外相として入閣し、ユーゴスラビアとのラパロ条約を成立させた。1919年以来上院議員になり、ムッソリーニ政権の誕生とともに駐仏大使を辞して反ファシズム運動の指導者となった。ムッソリーニに追われて海外に亡命(1927~1943)。この間、反ファシズム、反全体主義、ヨーロッパ連邦のための評論活動を展開。1943年10月に帰国、国王の即時譲位を要求する勢力に加わった。共和党党首として連立内閣の無任所相(1943~1944)、立法議会の議長(1945~1946)を経て、第三次から第六次までのデ・ガスペリ内閣の外相を歴任。その間、北大西洋条約機構(NATO(ナトー))加盟に至る戦後イタリアの外交的進路の推進者になった。第七次デ・ガスペリ内閣の無任所相の任期中に死去。
[重岡保郎]