パン−アフリカ会議
パン−アフリカかいぎ
Pan-African Conference
アフリカ人の解放と連帯をめざす会議
パン−アフリカニズム運動の中,アメリカの黒人運動家デュ=ボイスの指導のもと,1919年パリで第1回会議が開催された。ここではアフリカ人への国際的保護の法制度化,植民地への自治推進,教育の普及などを議決した。以後,1921・23・27年といずれも欧米で開催。運動は1930年代に一時停滞するも,第二次世界大戦後の45年,マンチェスターで開かれた第5回会議では,主導権を従来のアフリカ系知識人ではなく,エンクルマらのアフリカ知識人が握り,アフリカ−ナショナリズムと結びついて独立運動に影響を与えた。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のパン-アフリカ会議の言及
【アフリカ】より
… ナショナリズム運動とならんで,アフリカの解放に大きな役割を果たしたものに[パン・アフリカニズム]運動がある。19世紀末期のアメリカ合衆国および西インド諸島のアフリカ系人のあいだに生まれたパン・アフリカニズム志向は,1900年にシルベスター・ウィリアムズによってロンドンで開かれたパン・アフリカ会議を機にはっきりした一個の運動へと発展した。このパン・アフリカニズム運動はその後アメリカの黒人運動家デュボイスを指導者として両大戦間期前半に欧米各都市を舞台に,1919年,21年,23年,27年と計4回のパン・アフリカ会議を開催し,欧米世界のアフリカ系人,およびアフリカ人の解放のために力を尽くした。…
【パン・アフリカニズム】より
…パン・アフリカニズムとは,19世紀末にアメリカ合衆国やカリブ海地域のアフリカ系知識人によって生み出され,第2次世界大戦前は主として欧米各地を舞台に,戦後はアフリカ・ナショナリズムと結合して,おもにアフリカを舞台として,成長,発展した〈アフリカ人,アフリカ系人の主体性の回復およびアフリカの歴史的復権,独立と統一〉を目ざすイデオロギー運動である。 その前半期すなわち第2次世界大戦以前の時期には,運動はパン・アフリカ会議を主軸として展開された。まず1900年にトリニダードのアフリカ系人弁護士シルベスター・ウィリアムズHenry Sylvester‐Williamsの提唱で,パン・アフリカ会議Pan‐African Conferenceがロンドンで開催され,アフリカへの西欧植民地主義の侵略と人種的差別に対する抗議を,会議の名において行った。…
※「パン-アフリカ会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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