ビリークリスタル(英語表記)Billy Crystal

現代外国人名録2016 「ビリークリスタル」の解説

ビリー クリスタル
Billy Crystal

職業・肩書
コメディアン,俳優,司会

国籍
米国

生年月日
1947年3月14日

出生地
ニューヨーク州ロングアイランド島ロングビーチ

学歴
ニューヨーク大学

受賞
エミー賞〔1991年〕,トニー賞〔2005年〕,マーク・トウェイン賞〔2007年〕

経歴
ユダヤ人。ヒューマンタッチウィットに富んだジョークを次々に飛ばすコメディアン。ジャズ一家に育つが、ジャズには興味がなく、野球選手を夢見てマーシャル大学に入学するが、小柄なためあきらめる。1966年ナッソー・コミュニティ・カレッジに転校して演劇を学び、のち、ニューヨーク大学でテレビ・映画の演出マーティンスコセッシに学ぶ。’69年コメディ・グループを結成、4年後独立。’74年まではスタンダップ・コメディアン。’77〜81年ABCテレビのコメディ「ソープ」でホモ青年を演じて人気を得、’78年「ラビット・テスト」で映画初出演。’82年「ビリー・クリスタル・アワー」、’84〜85年テレビショー「サタディ・ナイト・ライブ」にも出演した。’89年映画「恋人たちの予感」の主演で一躍有名に。他の主演映画に「シカゴ・コネクション/夢みて走れ」(’86年)、「プリンセス・ブライド・ストーリー」「鬼ママを殺せ」(’87年)、「シティ・スリッカーズ」(’91年)、「アナライズ・ミー」(’98年)、「アメリカン・スウィートハート」(2001年)、「アナライズ・ユー」(2002年)、「かぞくモメはじめました」(2012年)、声の出演にディズニー映画「モンスターズ・インク」シリーズ(2001年〜)など。一方、「シティ・スリッカーズ」(1991年)をはじめプロデュース作品も多く、「ミスター・サタデー・ナイト」(’92年)、「彼と彼女の第2章」(’95年)など監督も手がける。また、’89年よりアカデミー賞受賞式の司会を9回務め、ボブ・ホープ、ジョニー・カーソンの後を継ぐ司会者ナンバーワンともてはやされ、その名は米国でハウスホールド・ネーム(誰もが知っている名前)として定着した。’94年初来日。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ビリークリスタル」の解説

ビリー クリスタル
Billy Crystal


1948.3.14 -
米国のコメディアン,俳優。
ニューヨーク市マンハッタン生まれ。
ジャズ専門のコモドア・レコードの創立者の叔父ミルト・ギャブラーや、コモドア音楽ショップを経営する父の影響を受けた。野球選手を夢みてマーシャル大に入るが小柄なため断念し、演劇を専攻する。続いてニューヨーク大学でテレビと映画の演出をマーティン・スコセッシに学ぶ。’69年コメディ・グループを結成し4年間活動後、ソロとしてテレビやTVMなどで活躍。’78年には映画でデビューし、日本でも’86年「夢みて走れ」で初登場した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「ビリークリスタル」の解説

ビリー クリスタル

生年月日:1947年3月14日
アメリカのコメディアン;俳優

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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