現代外国人名録2016 「ピーターガブリエル」の解説
ピーター ガブリエル
Peter Gabriel
- 職業・肩書
- ロック歌手
- 国籍
- 英国
- 生年月日
- 1950年2月13日
- 出生地
- サリー州
- グループ名
- 旧グループ名=ジェネシス〈Genesis〉
- 受賞
- 良心の大使賞(アムネスティ・インターナショナル)〔2008年〕
- 経歴
- 農場を持つ比較的裕福な家に生まれる。1963年サリー州のチャルターハウス・パブリック・スクールに入学し、アンソニー・フィリップスやトニー・バンクスらと出会う。この頃からドラムを始め、’66年フィリップスらと結成したスポークン・ワードでレコードデビュー。その後、デービッド・トーマス・バンドやザ・ガーデン・ウォールを経て、’67年フィリップス、バンクス、マイク・ラザフォードらとジェネシスを結成し、主にボーカルを担当。’68年パブリック・スクールの先輩であったジョナサン・キングに認められ、そのプロデュースでデビューシングル「ザ・サイレント・サン」を発表。さらに’69年にはファーストアルバム「創世記」をリリースした。’70年英国大手のカリスマ・レコードと契約してからはプログレッシブ・ロック路線を推し進め、フィリップスの脱退とフィル・コリンズ、スティーブ・ハケットの加入を経て、「怪奇骨董音楽箱」(’71年)、「フォックストロット」(’72年)、「月影の騎士」(’73年)といった傑作アルバムを次々と制作し、プログレッシブロック・バンドとしての黄金期を迎えた。また楽曲同様にシアトリカルなステージでも知られ、ガブリエル自身も花などをあしらった奇抜な衣装で歌い、好評を博した。しかし’74年のアルバム「幻惑のブロードウェイ」の後、’75年バンドを脱退。その後、映画音楽などに関わり、’77年初のソロアルバム「ピーター・ガブリエルⅠ」を発表。続く「Ⅱ」「Ⅲ」といったアルバムではロバート・フリップらをゲストに迎えてニューウェイブ色を強め、着実に評価を高めた。また民族交流にも積極的で、ワールドミュージックにも接近し、’82年WOMADを組織してフェスティバルを開催。’86年のアルバム「SO」からシングルカットされた「スレッジハンマー」は、ジェネシスの「インビシブル・タッチ」を追い落として英米第1位を獲得、同作のビデオクリップも多くの賞を独占するなど、ビッグセールスを記録した。’86年来日。’88年リアル・ワールド・レコーズを設立してイスラム宗教音楽カッワリーのヌスラット・ファテ・アリ・ハーンやアフリカのユッスー・ンドゥールといった各地の音楽家を世界に紹介した。また人権擁護活動や環境問題にも深く関わり、アムネスティ・インターナショナル主催のコンサートなどにも参加する。2006年トリノ五輪開会式ではジョン・レノンの「イマジン」を歌った。他のソロアルバムに「US」「UP」「イヴ」などがある。2009年ジェネシスがロックの殿堂入り。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報