フィン・タン・ファト(読み)ふぃんたんふぁと(その他表記)Huynh Tan Phat

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フィン・タン・ファト」の意味・わかりやすい解説

フィン・タン・ファト
ふぃんたんふぁと
Huynh Tan Phat
(1913―1989)

ベトナム政治家。メコン・デルタミト生まれ。ハノイ大学在学中から民主運動に投じ、1941年ベトナム独立同盟ベトミン)に参加。1954年サイゴンで建築事務所を営みつつ反ゴ・ジン・ジエム活動を展開、1958年地下潜行。1960年南ベトナム解放民族戦線結成に際し副議長、1964年書記長。1969年臨時革命政府樹立とともに首相就任。1976年統一ベトナム中央政府副首相兼国家建設委員長。1981年国家評議会副議長、1983年ベトナム祖国戦線議長。

[黒柳米司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィン・タン・ファト」の意味・わかりやすい解説

フィン・タン・ファト
Huynh Tan Phat

[生]1913. ミト近郊
[没]1989.9.30. ホーチミン市
ベトナムの政治家。建築家であったが,1930年代のハノイ大学の学生の頃から反仏運動に参加,第2次世界大戦中は日本軍のインドシナ支配に反対し,雑誌『青年』を発行して「前衛青年」運動を指導した。抗仏戦中ベトミンに参加,南ベトナム行政・抗戦委員会情報部長として活躍。 54年以後は反米組織づくりを行い都市工作に功績をあげた。 58年から解放区で活躍,その間に南ベトナム解放民族戦線サイゴン (現ホーチミン市) ・ディアデイン地区委員会議長,民主党書記長,解放戦線書記長ならびに中央幹部会副議長などを経て,69年6月の臨時革命政府結成と同時に非共産党員のまま首相に就任。 76年4月統一国民議会選挙に当選,同年7月の統一国会でベトナム社会主義共和国副首相に選出。 79年国家基本建設委員会議長兼務。

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20世紀西洋人名事典 「フィン・タン・ファト」の解説

フィン・タン・ファト
Huynh Tan Phat


1913 - 1989.9.30
ベトナムの政治家。
元・ベトナム副首相。
メコン・デルタのミト生まれ。
ハノイ大学在学中から民主運動に参加し、1941年にベトナム独立同盟(ベトミン)の結成に参加し、’44年には南ベトナム民主党書記長に就任した。’54年にサイゴンで建築事務所を経営しながら、反政府活動をし、’60年南ベトナム開放民族戦線結成の際の副議長となる。’64年同書記長、’69年には臨時革命政府首相となる。’76年にベトナム社会主義共和国副首相となって、’79年に統一ベトナム中央政府副首相兼国家基本建設委員長。’81年に国家評議会副議長を経て、’83年にベトナム祖国戦線議長に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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