南ベトナム解放民族戦線(読み)みなみべとなむかいほうみんぞくせんせん(英語表記)National Front for Liberation of South Viet Nam

日本大百科全書(ニッポニカ) 「南ベトナム解放民族戦線」の意味・わかりやすい解説

南ベトナム解放民族戦線
みなみべとなむかいほうみんぞくせんせん
National Front for Liberation of South Viet Nam

西側ではベトコンVietcong(ベトナム共産党)とよんでいた。1960年12月20日、南ベトナムの各種政党や社会団体、宗派組織、民族団体はじめさまざまの勢力が参集し、アメリカの帝国主義勢力とゴ・ジン・ジエム政権を打倒、南ベトナムに民族民主政権をつくり、民主主義制度を確立することを目標として結成した民族統一戦線議長はグエン・フー・ト(弁護士)。62年1月、南ベトナム人民革命党が組織されて解放戦線の中核体となる。解放戦線はサイゴン政権の警察政治、強大なアメリカの軍事力に対して熾烈(しれつ)な戦いを継続しつつ、69年6月南ベトナム共和国臨時革命政府を樹立、73年1月にはベトナム和平協定調印、75年4月北ベトナム軍とともにホー・チ・ミン作戦を行って南ベトナムの解放を成し遂げた。南北の統一後、77年2月解放戦線は北の祖国戦線と合体、その使命を終わった。

[丸山静雄]

『W・G・バーチェット著、真保潤一郎訳『解放戦線』(1964・みすず書房)』『本多勝一著『戦場の村』(1968・朝日新聞社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南ベトナム解放民族戦線」の意味・わかりやすい解説

南ベトナム解放民族戦線
みなみベトナムかいほうみんぞくせんせん
National Front for the Liberation of the South Vietnam

1960年 12月 20日に南ベトナムのキエンホア省モッカイ郡で結成した統一戦線。それまで各地で行われていた民衆の広範な政治闘争と散発的な武力闘争を合体したもの。アメリカなどは,これを南ベトナムの共産勢力の組織であるという意味で,ベトコンと呼んだ。この統一戦線には,各種の政党,大衆団体,宗教勢力が参加し,議長には弁護士グエン・フー・ト,副議長に各党派,団体の代表数名,書記長に急進社会党のグエン・バン・ヒューが選ばれた。またその行動綱領として,アメリカの植民地主義とゴ・ジン・ジェムの独裁を打倒して,民族民主連合政府を樹立することなど 10項目が掲げられた。その後 61年2月には南ベトナム人民武装勢力の統一が実現し,62年1月には人民革命党 (共産党) が解放戦線に参加して,以後運動の実権を握ることになった。解放戦線の結成後,アメリカはいわゆる特殊戦争から局地戦争へと戦争をエスカレートさせたが,これに抵抗し,反撃する過程で,解放戦線は実力を高め,解放区を拡大していった。特に 68年のテト攻勢,69年のテト明け攻勢で,アメリカ軍と政府軍に大打撃を与え,その間に成立したベトナム民族・民主・平和勢力連合と協力して,臨時革命政府樹立への道を開いた。

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