フェランテ(英語表記)Ferrante

改訂新版 世界大百科事典 「フェランテ」の意味・わかりやすい解説

フェランテ
Ferrante
生没年:1431ころ-94

ナポリ王フェルディナンド1世の別名。在位1458-94年。アラゴン王からシチリア王,ナポリ王となったアルフォンソ1世(アルフォンソ5世)の庶子。1458年に父王の後を継いだが,国内に割拠する大貴族層(バローネ)と戦い,さらに王位を主張するバロア系アンジュー家とそれを支援する教皇干渉を排除しなければならなかった。国家秩序の再建に努力し,文化の振興に努めた。永らく機能していなかったナポリ大学を再建した。ローディの和(1454)の後,ミラノ,フィレンツェ,ベネチア3国の結んだ〈イタリア同盟〉に参加し,ロレンツォ・デ・メディチとともにイタリア半島の政治的安定のシンボルとなった。ベネチアが教皇と組んでフェラーラを攻撃したとき(1482)には,ミラノ,フィレンツェに協力して救援を行った。そのために膨大な財政支出を余儀なくされ,政情不安を招いた。1485年に有名な〈バローネの反乱〉が生じ苦境に立ったが,大貴族層の背後にいた教皇と和解して反乱を鎮圧すると,謀反人を次々に処刑した。フェランテの死後,フランスが王位を主張して強力な介入を行うようになり,ナポリ王国の独立は失われるにいたった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のフェランテの言及

【ナポリ王国】より

…しかし,国内では大土地所有(ラティフンド)に基盤をもつ大貴族層(バローネ)の勢力が強大であった。アルフォンソ1世の死後,庶子フェランテが王位を継ぎ,フィレンツェ,トルコとの対立,大貴族層の反乱に直面しながら権威を確立しようと努力した。 15世紀末からフランスがアンジュー家以来の権利を主張してナポリを支配しようとした。…

※「フェランテ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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