日本大百科全書(ニッポニカ) 「バローネ」の意味・わかりやすい解説
バローネ
ばろーね
Enrico Barone
(1859―1924)
イタリアの経済学者、軍事学者。ナポリに生まれ、陸軍士官学校卒業後1886年参謀本部付大尉。処女作「大軍作戦法」(1882)に続き軍事科学の論文多数を著す。1894年には少佐としてトリノの高等戦争学校の教官となったが、すでに当時イタリア最大の経済学者M・パンタレオーニMaffeo Pantaleoni(1857―1924)、V・パレートの2人と交流をもち、同年より経済学の論文、著書を発表し始めた。それらの論文のなかで、1896年に『経済学雑誌』Giornale degli economistiに発表された「分配に関する研究」は、L・ワルラス、A・マーシャル、J・B・クラークとは別個に独自の限界生産力説を展開したものとして注目された。
彼はその後も軍事科学の分野でも優れた労作を出し、1902年に参謀本部に復帰したが、この間経済学の研究も続け、4年後大佐のときついに退官し、経済学に専念する。1908年『経済学雑誌』に、経済学史上彼の名を不滅のものとした有名な論文「集産国家における生産省」が発表された。この論文において彼は、ワルラス‐パレート型の一般均衡論体系を用いて、生産手段が社会的に所有されている社会においても「生産省」(中央計画局)が財やサービスに計算価格を設定することによって市場経済における価格と同一の機能を果たさせることが可能であること、したがって社会主義経済における合理的資源配分の可能性を数学的に論証した。この論文は、1930年代に社会主義経済における経済計算の可能・不可能をめぐるL・E・ミーゼス、F・A・ハイエク、O・ランゲらの論争が展開されるなかで高い評価を受け、バローネとは逆の立場にたつハイエクによって編集された書物『集産主義者の経済計画』Collectivist Economic Planning(1938)に英訳が収められ、続いて各国語で出版された。
[尾上久雄]