フンシンペック党(読み)フンシンペックとう

百科事典マイペディア 「フンシンペック党」の意味・わかりやすい解説

フンシンペック党【フンシンペックとう】

カンボジア政党。〈独立・中立・平和・協力のための民族統一戦線〉のフランス語表記の略称(FUNCINPEC)。反政府活動を進めていたラナリット派(旧シアヌーク派)が1993年春の総選挙をめざして1992年に結成した。党首はシアヌーク元国王の息子のラナリット。1993年の総選挙で第一党となり,カンボジア人民党とともにカンボジア暫定国民政府の与党となる。ラナリットは人民党フンセンとともに共同首相を務めたが,1997年7月,フン・セン第二首相がラナリット第一首相を追放する政変が起こり,1998年7月選挙でフン・センの人民党が勝ち,同年11月フン・セン首相,ラナリット国会議長の枠組みができた。→UNTAC(アンタック)
→関連項目カンボジアフン・セン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フンシンペック党」の意味・わかりやすい解説

フンシンペック党
フンシンペックとう
National United Front for an Independent,Neutral,Peaceful and Cooperative Cambodia; FUNCINPEC

カンボジアの政党。正式名称は「独立・中立・平和・協力のカンボジアのための民族統一戦線」。 1981年にパリでシアヌークが在欧の亡命政治家らと結成し,1982年にポル・ポト派,ソン・サン派と三派連合政府を樹立。 1991年 10月の和平協定調印を前にシアヌークは組織を離れ,二男ラナリット後継とした。 1992年5月,翌 1993年の総選挙のためにフンシンペック党と名のり政党に移行,ラナリットを党首に選出した。 1993年5月の総選挙では 58議席を獲得し,第1党の座を獲得した。同 1993年9月新憲法のもとで成立した新政権ではラナリットが第1首相に就任。だが 1997年にフン・セン第2首相のカンボジア人民党と武力衝突を起こし,7月にラナリットは追放され,代わってウン・フオット外務大臣が第1首相に選出された。 1998年7月の総選挙では第2党の地位を得た。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android