フン・セン(読み)ふんせん(英語表記)Hun Sen

翻訳|Hun Sen

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フン・セン」の意味・わかりやすい解説

フン・セン
ふんせん
Hun Sen
(1951― )

カンボジアの政治家。1951年(1952年説も)、カンボジアのコムポンチャム州で生まれる。プノンペンのリセ・インドラ・デビ卒業。1970年、クメール・ルージュに参加。民主カンボジアポル・ポト政権)の第21区参謀長兼司令官となるも、ポル・ポトの反ベトナム路線と対立、1977年ベトナムに亡命。翌1978年亡命したヘン・サムリン、ペン・ソバンPen Sovan(1936―2016)らとともに親ベトナムの「カンボジア救国民族統一戦線」に参加。1979年1月、ベトナム占領下にカンボジア人民共和国(ヘン・サムリン政権)が成立したのに伴い外相に就任。1985年、首相兼外相となる。1987年12月、民主カンボジア連合政府のシアヌーク大統領とパリ郊外で会談、カンボジア紛争の政治的解決の端緒をつける。1993年、国連カンボジア暫定統治機構UNTAC(アンタック))主導下の総選挙を経て制定された新憲法下で誕生したカンボジア王国で、ラナリットNorodom Ranariddh(1944―2021、親シアヌーク政党・FUNCINPEC党首)第一首相、フンセンカンボジア人民党副議長)第二首相体制が維持されたが、両者の関係は悪化の一途をたどり、1997年、フン・センは事実上のクーデターでラナリットを追放した。政策的には改革派で、人民党議長のチア・シムChea Sim(1932―2015)国会議長ら保守派と対抗するとされる。1998年、国際的なNGOの選挙看視の下で行われた選挙で第一党の地位を占め首相に就任(2004年7月再任)。3男3女の父。

[黒柳米司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フン・セン」の意味・わかりやすい解説

フン・セン
Hun Sen

[生]1952.8.5. コンポンチャム
カンボジアの革命家,政治家。首相(1985~2023)。1970年代半ばまでに赤いクメール(クメール・ルージュ)に参加し東部地区の部隊長に就任したが,党内対立激化をうけてベトナムに渡り,ポル・ポト打倒の動きに加わる。1979年1月プノンペン政府(→カンプチア人民共和国)成立とともに外務大臣となり,1985年に首相となった。優れた交渉者として国際的に知られ,ノロドムシアヌークとの二者会談を含む精力的な活動を通じてカンボジア和平に努力した。1991年秋のカンボジア最高国民評議会 SNC成立以後も内外諸勢力のバランスを巧みに保ちながら地位を維持し,総選挙後の 1993年9月から第二首相となった。 1997年第一首相であったフンシンペック党のノロドム・ラナリットとの対立が激化し武力衝突に発展,ラナリットを国外追放し事実上政権を掌握した。1998年7月の総選挙で自身が副党首を務めるカンボジア人民党が勝利を収め,11月に単独の首相に就任。長期政権を維持し,2023年8月に長男のフン・マネットに首相職を譲った。

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