果樹,野菜,観賞用植物などを資本と労力をかけて集約的に栽培することで,対象とする作物の種類によって,果樹園芸,野菜園芸,花卉(かき)園芸に分類される。また,生産物の販売を目的とする園芸を生産園芸,趣味として行う園芸を趣味園芸,または家庭園芸という。園芸という言葉は英語のhorticultureの訳語で,日本では1873年に出版された英和辞書で用いられたのが初めである。horticultureとはラテン語のhortus(囲うこと,または囲まれた土地の意)とcultura(栽培の意)に由来し,17世紀以降使われるようになった言葉である。なお同義語としてgardeningという語が用いられることもある。
果樹園芸と野菜園芸の目的はわれわれの嗜好に合った食品(果物・野菜)を生産することであり,花卉園芸の目的は花を栽培,観賞することによってわれわれの美的欲求を満足させることである。このように対象とする園芸作物の種類によってその目的は異なる。しかしながら,果樹,野菜,観賞用植物などには,(1)他の農作物に比べると,収穫物は水分含量が高くて腐敗しやすいので,収穫物を利用できる期間が限られる,(2)栽培管理の程度によって収穫物の品質や価格に著しい差が現れるという共通の特徴がある。
イギリスやフランスでは13~14世紀に封建制の崩壊がはじまり,国王に権力が集中するようになったが,それとともに城の必要性は薄れ,城は宮殿に変えられていった。宮殿には庭園が作られ,そこでは珍しい異国の果樹や花,季節はずれの野菜などが栽培され,王侯貴族に供給された。このように王侯貴族のために行われる園芸は宮廷園芸と呼ばれた。宮廷園芸の特徴は,おもに農村で行われる果樹や野菜の栽培と,都会で行われることが多い花の栽培とが一体化していることにある。16世紀に入ると,園芸は広く庶民の間にも普及しはじめたが,宮廷園芸の影響を受けて,一般家庭でも果樹や野菜とともに花を栽培することが多く,このことが17世紀に園芸という概念を生む一因になったと思われる。これに対して,日本では明治時代に欧米から学問の一分科として園芸学が導入されるまで園芸という概念はなかった。また,今日でも園芸というと花の栽培や庭造りのことだと考える人がいるが,これは,(1)日本では近年になるまで,果樹・野菜と花を同一の場所で栽培するということがほとんどなかった,(2)稲作をはじめとする日本の農業そのものがひじょうに集約的で,果樹や野菜栽培との違いがあまりはっきりしないという事情を反映していると思われる。
→果物 →野菜
執筆者:杉山 信男
園芸植物の成立には三つの過程がある。その一つは野生植物の栽培化であり,二番目は栽培化された植物の移動・伝播(でんぱ),最後に品種の改良である。
縄文時代に日本自生植物の栽培化が行われていたかどうかは定かでない。日本園芸の発祥は,現時点では福井県鳥浜貝塚から出土した縄文前期のヒョウタンとリョクトウである。《古事記》には70種あまりの植物名があがるが,1/4は外来植物であり,園芸植物にはアオナ(カブラ),ウリ,オオネ(ダイコン),カミラ(ニラ),ハジカミ(ショウガ),タチバナ,ハスなどがある。続く《万葉集》では160種あまりの植物が詠まれている。歌中,庭,宿などが歌いこまれ栽培されていたとわかる花には,日本自生の花木としてヤマブキ,フジ,ハギ,ツバキ,サクラ,ウツギ,アジサイ,センダン,ネムノキの9種,庭木としてマツ,タケ,草花のユリとナデシコの計13種がある。渡来の花木,果樹,草花にはウメ,モモ,ケイトウなど10種がある。《万葉集》には花に恋人の面影を重ね,思いをつのらせる歌が少なからず見られる。ハギ,ネムノキ,フジ,マツなどは形見に植えたと歌われる。また大伴家持がナデシコを〈わが屋戸(宿)に播(ま)きし〉と詠み,園芸植物の種子繁殖がこの時代から行われていたことが明らかである。平安時代には,アサガオ,ボタン,キク,トコナツ,シオン,キンセンカ,アンズなどが中国から渡来する。鎌倉・室町時代までの渡来植物は中国原産が多いが,ベニバナ,キンセンカ,スイセン,ケシなどは西アジアやヨーロッパが原産であり,シルクロードを経てもたらされたと推定される。
品種の改良は変り物の発見に始まる。《日本書紀》に白ツバキが書かれ,《万葉集》ではヤマブキやアジサイの八重咲きを示唆する歌がある。ナラノヤエザクラは聖武天皇が発見,移植したと伝えられるが,これが後世広がったのは接木(つぎき)の技術による。藤原定家は《明月記》で,それにふれている。日本の園芸品種の改良が大きく発展したのは,江戸時代である。水野元勝の《花壇綱目》(1681)は180あまりの花を取りあげる。以降,貝原益軒の《花譜》(1698),伊藤三之丞(伊兵衛)の《花壇地錦抄》(1695)と続き,江戸時代を通じ70におよぶ園芸書が書かれる。安楽庵策伝の《百椿集》(1630)をはじめ,ツツジ,キク,サクラ,ボタン,ウメ,アサガオ,ハナショウブ,ナデシコなど花の専門書が出版され,さらにモミジ,カラタチバナ,オモト,マツバラン,セッコクなど葉を観賞の対象とした多数の品種を成立させた。それらは世界に類をみず,増田金太の《草木奇品家雅見(かがみ)》(1827)と水野忠暁の《草木錦葉集》(1829,13冊中6冊は未完)に集大成された。ヨーロッパで観葉植物が普及するのは20世紀に入ってからであるが,江戸園芸は積極的な交配による品種改良こそなかったが,変異性のある実生の選抜と枝変りの発見により,すでに多数の品種を成立させていたのである。
明治時代に入ってからは新宿御苑や小石川植物園などに温室もつくられ,ヨーロッパの花卉や熱帯植物の数々が導入され,育成されるようになった。大正・昭和時代にかけて導入された植物の種類や品種はおびただしい数量になったばかりでなく,化学工業に伴って肥料,薬剤などが発展し,経営も合理化されて大型化し,技術も向上した。また近年では,植物名もとくに和名をつくらず,属名,学名をそのままかたかな読みすることが多くなった。
技術面では光周性を応用したキクの促成栽培が長野県下で,電灯照明による抑制栽培が愛知県下で盛んになり,各地で促成,抑制のポットマム栽培も行われている。またチューリップ,スイセン,フリージア,アイリスなどの球根冷蔵による促成栽培が確立した。薬剤では生長促進のジベレリンの利用,矮化剤Bナインの使用による鉢草花の生産が多くなった。繁殖技術としては一定間隔で霧を散布するミスト法による増殖が効果を挙げ,ロードデンドロンをはじめ発根の困難な種類に応用され,とくに生長点培養(メリクロン法)による洋ラン,カーネーション,キク,ユリなどの増殖に加えてウイルス病におかされていない苗を育成する技術も成績をあげている。採種方法としてはF1(雑種第1代)の利用が効果をあげ,キンギョソウ,四季咲きベゴニア,ペチュニア,マリーゴールドなど多種類の草花の品質が向上している。同時に雄性不稔の利用でコストダウンも図られている。
中国最古の総合農書の一つ《斉民要術》(6世紀半ばころまでに成立)は,10巻92編の大著で,ナツメ,カキ,モモ,スモモ,アンズ,ザクロ,ボケ,カブ,ダイコン,ニンニク,ラッキョウ,ネギ,ニラ,ショウガ,キュウリなどのように,現在中国で見られる主要な果樹,野菜の大半を取りあげ,その栽培法,利用について解説している。果樹の接木も,すでに当時確立していた。中国には前2世紀ころから,シルクロードを通って西域から多くの野菜類,果樹類がもたらされ,中国原産の植物の栽培化とあいまって,重要な野菜類,果樹類が育成された。単一の花卉を扱った初期の専門書には宋代の欧陽修の《洛陽牡丹記》,劉蒙の《菊譜》や李衎の《竹譜詳録》(1300)がある。花卉を集大成した王路の《花史左篇》(1618)や陳扶揺の《秘伝花鏡》(1688)は,江戸時代の日本の園芸書に大きな影響を与えた。また,東洋ランやモクレン類などの花木も独自の発展をとげた。
執筆者:湯浅 浩史+浅山 英一
園芸の歴史はヨーロッパ文化史の一側面でもあった。本来は農民に任せておいてよいはずの果樹や花の栽培を,貴族や市民がしばしば趣味的におこなうとき,それはまさに〈カルチャーculture(耕すこと,文化)〉の両義にまたがっていたからである。残存する壁画によれば,古代エジプトの貴族や高官は自分の土地を四角く囲み,ナツメヤシなどを栽培している。果実を収穫し,木陰をたのしむという実利性以上に,自分の小世界をもつという象徴的なたのしみがあったのであろう。古代ローマの貴族も同様であったが,すでに接木の技術も発達し,また特定の木を人や動物や各種の図形に刈り込むトピアリーtopiaryも盛んになった。こうなると園芸はまさしく〈芸(アート)〉であり,その洗練を賞賛することもできるが,その人工性を非難することもできる。ローマ時代を通じて,園芸をめぐる文化史的な論議が戦わされた。中世の園芸は,貴族の城館の一隅で,また僧院の中庭で,細々と続けられた。それが再び隆盛期を迎えるのはルネサンス時代および近代初期であり,17世紀が頂点であったといわれる。ヨーロッパにそれだけの社会・経済的余裕が回復し,新しい美意識が生まれたせいであり,同時に地理的に拡大した世界の各地(まずトルコ,ペルシアなどの小アジア,西アジア地方,のちにアメリカ大陸および東アジア)から,新しい園芸品種がもたらされたからである。接木,装飾刈込み,新品種開発の技術はめざましく発達したが,これに対する毀誉褒貶(きよほうへん)もはげしかった。ブドウ,アンズ,モモなどの果樹を新しい技術で育成し,多収穫をあげる実用的な園芸もあったが,いたずらに珍奇な新品種の花卉を開発する遊戯的な園芸が流行したからである。オランダが園芸国として有名になったのもこの時代であったが,それはこの国が広く世界の各地と通商を行っており,新品種を集めやすかったことが寄与している。ただしチューリップはトルコ地方から陸路ヨーロッパにもたらされ,フランス,ドイツなどで流行したのちにオランダに達したが,その栽培が大流行を招いたのは1630年代のこの国においてであった。〈チューリポマニアtulipomania(チューリップ狂い)〉と呼ばれる現象で,のちにデュマ(父)が《黒いチューリップ》で描いたところでは,〈軍艦1隻分に相当する金額〉の賞金をかけて,新品種の開発を競ったとされる。しかし18世紀に入るとヨーロッパは貴族的な奢侈(しやし)から市民階級的な堅実さにしだいに移行し,園芸もそれなりの落着きを見せはじめた。いっぽう,東西両洋の交流は意外なほどに園芸の分野で盛んであり,国際的な親近感を育て続けてきた。たとえばヨーロッパの花の代表であるバラですら,19世紀はじめに中国系のバラと交配することによって大改良が行われたし,イギリスの庭園をいろどる各種のみごとな洋種シャクナゲは,東洋種を改良したものである。
執筆者:川崎 寿彦
観賞の対象となる植物を栽培し利用する園芸の一分野を花卉園芸といい,花卉とは草花をさすが,単に草本植物ばかりでなく,花木や庭木,山野草の類,ときには一部の果樹や野菜をもふくめることがある。また切花や鉢植えを観賞するばかりでなく,小規模な花壇づくりや庭造りの技術にも及び,最近では生花や洋風の花卉装飾などをも含める。花卉園芸とは狭義に草花園芸と解釈されたこともあり,また花卉を観賞植物と呼ぶこともある。
花卉園芸として取り扱われる植物の数は種,変種を併せて1万種を超えるといわれる。これらの品種の数は年々新しく作出されるので,無限に近いものといえる。取扱い上の性質からは一・二年草,多年草(宿根草),球根植物,花木・植木と分けられるが,植物の特性や目的からは,多肉植物,サボテン類,食虫植物,水生植物,斑入植物,観葉植物,温室植物,つる性植物,シダ植物,ラン科植物,ヤシ科植物,盆栽類,高山植物,山野草,室内植物などという呼称もある。
花卉園芸のうち,第2次世界大戦後発展したのは生産園芸である。戦前にも都市近郊では市民の要望に応える生産はなされていたが,社会情勢の変化とともに都市緑化,生活に緑と花をというキャッチフレーズで需要も増大してきた。大量の切花,鉢物を合理的に生産するために優良種苗を入手し,ビニルハウスや温室をもち越冬期間を短縮する手段がとられている。新技術もとり入れられて栽培用土は赤玉土を基本とはするが,パーライト,バーミキュライト,ピートモスの利用が大きい。素焼鉢に代わってビニル鉢,木箱は発泡スチロール箱に代わり,ときには土なしの水耕栽培による切花も生産されている。取り扱う植物の種類や品種を少数に絞り,栽培家が専門家となることが多く,バラ,カーネーション,キクなどはまったく専業化している。
苗や種だけを生産する目的の仕事で,種子のみを生産する場合,苗だけの場合,両方の場合がある。生産園芸が発達すると経営も分化して,欧米では庭木用の苗だけの生産の場合に移動用容器に入れて栽培する方法が盛んである。ミスト法による挿木法などがとり入れられ,キクやカーネーション,洋ラン,球根ベゴニア,セントポーリアなどの増殖にはメリクロン法などが利用されている。
言葉の上では花木,植木,庭木の別があるが,いずれにしても木本植物であることにはちがいがなく,これを取り扱う業を花木園芸という。花木はウメ,ツバキ,ツツジなどのように花を見るための樹木で,植木や庭木はシイ,カシ,ヒノキ,マツなどのように日陰,目かくしや庭の風情をつくるための樹木という解釈はあるが,いずれにしても花が咲かない樹木はないので,総じて花木と称してもよいだろう。
これらの樹木には常緑と落葉,高木・低木(下木),広葉・針葉などの別があり,それぞれの目的によって養成される。昔は植木屋が庭師も兼ねて仕事をしたが,現在ではナーセリーnurseryまたはアーボレタムarboretumという育苗専門家と,庭園や公園,街路などに植栽する造園専門家とは別業になることが多い。また,育苗を兼ねて鉢作りする業と庭木,植木に育てあげる業は別である。繁殖はおおむね実生,挿木,接木,取木,株分けなどの方法で行われるが,最近はミスト法や発根剤が使用されている。
執筆者:浅山 英一
園芸的な栽培の対象となる植物を園芸植物というが,園芸で取り扱う範囲が多様なため,それを分類しようとしても特徴的なまとまりはあまりない。しかし栽培の目的によって,食用とされる果樹や野菜類と,観賞を目的とする花卉や庭園植物とに大別することができる。前者は単一植物の大規模な栽培の方向,すなわち企業的な栽培の方向に展開しつつあるが,観賞を目的とするものは,原産地からの珍奇な植物の導入,それらの品種改良による多様な植物群の育成栽培の方向に展開している。切花や鉢物のような一部の花卉生産はそれなりに企業化した大生産地帯が生まれているが,観賞植物では多種少量生産,しかも趣味栽培の方向が基本である。
有用植物としての園芸植物の分化は,人間が農耕を開始し,さらに都市を形成する過程,言い換えれば都市の出現とともに,人間社会に食糧生産に直接かかわらない階層が分化し,そこへの権力と富が集中する過程と密接に関連している。とくに趣味としての園芸は,金と暇のある人間にとってしか,意味のない行為であっただろう。野菜や果樹の分化も農耕の1万年近い歴史から見ると比較的最近に進んだものである。たとえば,バナナの大規模栽培は,20世紀になってから展開されたもので,それ以前は主食的利用が中心であったし,現在でも熱帯圏では広く主食として栽培されている。野菜類も,山菜や野草の利用が主であった時代は,ごく最近まで続いていた。現在でもマレーシアの市場ではクワレシダ,スベリヒユ,イヌビユなど数多くの野草が野菜として販売されている。
マレーシア地域に広く見られる,居住地の近くに各種の果樹,いも類,マメ類,野菜を混栽する農地は,欧米人にキッチンガーデン(菜園)と呼ばれ園芸的なもののように見られるが,これはたぶん,この地域で行われていた混栽的な焼畑農耕から発展した型で,ヨーロッパ的な園芸とは無関係にできあがった型である。
主食として栽培される植物と比較すると,園芸植物は生活型が多彩で,栽培種数も多くなるという方向へ発展してきた。食用とする野菜類は,主食として栽培される作物と同様,生育の速い一年草的なものが多いが(アブラナ類,ダイコン,ネギ類,ニンジン,ホウレンソウ,レタスなど),果実を食用とする果樹のほとんどは木本か,多年草である(リンゴ,ミカン,バナナ,ナシ,イチゴなど)。また庭園に植えられる植物の多くも木本か多年草である。
花を観賞する花卉は,珍しいもの,美しいものを目標にされているが,それらは環境条件のまるで異なる地域の植物であるため,温室やロックガーデンなど原産地の気候を再現するような特別な栽培条件を作って栽培することも多い。また,開花させるだけでなく繁殖も行うために,病気や害虫の被害を防ぐ方法など職人的な栽培の技術が追求されている。このように園芸植物は,人間に喜びを与えるものであり,これからもますます多くの,今まで利用されたこともない植物が栽培化されることであろう。
→食用植物 →薬用植物 →有用植物
執筆者:堀田 満
園芸の分野は広く,園芸技術も多様にわたるが,ここでは趣味園芸を中心にその技術をみてみよう。
植物の栽培は種まきや苗,球根などの植付けからはじまる。野菜や花卉などの一・二年草類は,種まきによるが,目的の開花や結実をさせるためには,肥料や水,日照はもちろん,日照条件や温度条件が大きく影響するので,その植物の適期を失しないように種をまくことがたいせつである。宿根草は株分けや挿芽などで繁殖させ,適時に植え付ける。樹木類は挿木,接木,取木などで苗木をつくって,鉢植えや庭木用として栽培するが,成品となるまでは年月を要し,その目的によって,剪定(せんてい),誘引,摘心,断根,植替えなどの技術を駆使しなければならない。
(1)繁殖 花卉や野菜では種子をまいて育てる場合と,株分苗や球根の植付け,挿芽苗,挿木苗,取木苗から育苗する場合がある。
(a)種まき 実生で栽培する場合には,畑や庭に直接まきつける直まき法と,一度まき床に種子をまいて苗を育て,他の場所や鉢に植え替える移植法とがある。ヒナゲシやヒマワリのように植替えができないものは,もちろん直まきするが,ナデシコやヤグルマギクなどのように,植替えができても,移植しないで栽培するほうがその後の発育のよいものも,労力を省くために直まきする場合がある。直まき法では間引作業がたいせつとなる。1~3回に分けて間引きし発育のそろったものを残すようにする。種まきには,種子を一面に広げてまき,土をふるい掛ける〈ばらまき〉,まき筋をつけて種子をひねり落とすようにまく〈すじまき〉,一定の間隔に数粒ずつまく〈点まき〉とがある。〈ばらまき〉は平鉢,平箱にまく方法である。〈すじまき〉には苗を広げる手順がスムーズにできる利点があり,〈点まき〉は種子が大粒のときに適用する。なお,四季咲きベゴニア,カルセオラリア,プリムラなどのように微細な種子は,鉢や平箱にピートモスと川砂を半々に混ぜたものにまきつけ,表面から灌水するのではなく,底灌水で水をしみ上がらせる方法が安全である。また,トマト,ナス,キュウリなどの野菜では,植付けの適期まで,ビニルハウスやビニルトンネル,フレームで平箱や鉢,あるいは播種(はしゆ)床にまき,ビニルポットなどに移植して育苗したものを定植する。
(b)株分け 種子から育った1株が自然に増えて2芽以上になっているとき,手先で引き裂いたり,刃物で切り分ける。一般に発根する時期の前に行うのがよく,春咲きの草花では秋9~10月に,秋咲きのものでは2~3月に行うとよい。適度に灌水を行えば,じょうぶなものであれば活着する。
(c)分球 球根を分離して増やす方法で,たいていの球根は一作して掘り上げると,自然に分球して増えているので,これを分離して適時に植えればよい。しかし,自然に分球することが少ないものでは,切断したり,鱗片をかきとったり,人手を加えて分球する。
(d)取木 花木や庭木など枝に処理をして根を出させ,これを切りとって苗木とする方法。挿木や接木と違って根が出たものを切りとるので確実である。常緑樹でも,落葉樹でも適用でき,1年枝でも,2~3年枝でも発根させることができる。取木には,高い部分の枝を環状に剝皮し,その部分に発根させる〈高取法〉と,地面に近い部分に出る枝を曲げて土中に押さえて発根させる〈圧条法〉とがある。
(e)挿木と挿芽 挿木は木質部が発達した木本類の場合に用い,挿芽は柔らかい芽先を切って挿す方法で草本類に用いる。常緑樹の挿木は梅雨明けに,落葉樹の挿木は冬の間に行う。常緑樹では,挿すとき,下半分の葉をとって,乾かぬように管理する。発根は常緑樹では秋,落葉樹では5月ころ。挿芽は茎の頂端を切りとって挿すが,適度な温度としめりけを維持することが重要である。ほかに葉挿し,根挿しなどの方法がある。
(f)接木 挿木しても根が出にくいものなどに用いる方法で,切接ぎ,割接ぎ,呼接ぎなどの方法がある。
(2)移植と定植 (a)移植 発芽後しばらくたつと,苗はしだいに込み合うようになり,通気,受光が悪くなる。そこで植え替えることが必要になるが,小さい苗は強風や日光に当たると,すぐしおれるので,移植は曇天無風の日や夕方を選んで行うのがよい。しかし,ハナビシソウなどのケシ科植物,スイートピーなどのマメ科植物,チューリップ,スイセンなど移植をきらうものでは,移植を極力おさえ,移す場合でも小苗のうちに根を切らぬよう注意して行わなければならない。挿木や接木などで繁殖させた苗木の場合は,新根が出る前か,休眠期を選んで移植する。落葉樹の移植は11月中・下旬~3月中・下旬が一般的で,厳寒期は避けるほうがよい。常緑樹は3月下旬~4月上旬の新芽前と新芽が伸び固まった6月下旬~7月中旬に移植する。成木を移植する場合は,1~2年前に根まわし(幹の直径の4~6倍の直径の円をかき,その外側に出る根を切っておくこと)をしておく必要がある。
(b)定植 その場で咲かせたり結果させるために,最終的に行う植付けを定植という。定植では,前もって元肥を入れて植床の準備をしておき,間隔を十分にとって植え付ける。植付け後も,根づくまでは,敷きわらをして灌水を行い,必要ならば倒伏しないよう支柱を立てる。果樹ではとくに1本当りの株間を十分にとる必要がある。これは花木も同様で,日当りと通風のよい場所を選んで植える必要がある。
草花の鉢植えの場合,小鉢で1~2回鉢替えして大きくなったものを,通常5~6号(径15~20cm)の仕上鉢に本植えする。この植替えは,小鉢の中で根をよく張らせて,十分に土を利用させるためである。もし,初めから大鉢に植えると,根は分枝せずに鉢の縁に到達してしまい,一時的に大きくなるが,たちまち生長停止の状態になってしまう。
鉢替えの時期は,鉢底の穴から根がはみ出したころがよく,鉢の縁をまんべんなく3~4回たたくとすっぽり抜けるから,これを大きな鉢に入れ,周囲のすきまに調合土を入れるとよい。
(3)水やり 植物の手入れのうちでも,水やりは重要な作業である。しおれない程度に水をやるといえば簡単なようだが,〈水やり三年〉という言葉があるように,むずかしい。露地に種子をまいた直後などは,ホースやじょうろで乱暴に水をまくことはひかえるべきである。このような場合は,敷きわらを敷き,静かに細目のじょうろで水をかけるとよい。定植した後は,当初数回は根もとの土を固めないように注意しながら水をやる。いったん根付けば,よほど乾かないかぎり灌水しなくともよい。一方,鉢は乾きやすいので,春秋1日1回,真夏には1日2回ほど水をやる。
水やりは葉に水をかけないようにしてかけるのが常識で,葉が水でぬれると,病害に侵されるおそれがあるので,土ぼこりがかかった場合や,高山植物など以外は,葉に水をかけないように注意する。
(4)剪定と整枝 花をよく咲かせたり,結実をよくするためには,剪定が必要となる。整枝は樹形を美しく整えることをいい,剪定から整枝までは一連の作業である。剪定の要領は,内向枝や徒長枝,交錯した枝や平行枝などを切り,形を整えるようにして行う。時期は,落葉樹では晩秋の落葉後から冬の間,常緑樹では,厳寒期を避け,花がなければ,3月下旬~4月上旬に行うのがよい。庭木や生垣で,時間の余裕がない場合は外形だけを刈り込んでおいてもよい。
植物の手入れには,以上のほか,枝やつるを支柱に結びつけて,かっこうを直す〈誘引〉,分枝を促したり,勢力を調節する摘心,摘芽,摘花,摘果などの作業がある。
露地栽培では,とくに土壌を調整することはないが,土の理化学的性質をよくするためには,よく耕し,土中に空気を送り込むことが第1で,次にその状態を長い間維持し,あわせて肥料的効果をあげるために,堆肥や腐葉土を混入する。酸性土壌で生育のよくない外国産植物のためには1m2に100~150gの消石灰を一作ごとに混入する。また石灰は軽い火山灰土を締め,重粘な土をゆるめる効果があるので,しばしば用いるのがよい。
鉢植栽培では,たび重なる灌水で,土粒が崩れ,微細なみじんが土の空隙(くうげき)を埋めて,通気が悪くなるので,草花類では普通,赤玉土または田土に腐葉土を3~4割混入して用土とする。粘質土が基準となるときは,川砂を1~2割混ぜるとよい。盆栽,植木類では,田土または赤土のみじんを抜いたものだけに植え付け,とくに通気をはかるが,肥料は用土に混入せず,置肥として,灌水のたびにしだいに溶けて吸収されるようにする。
用土を補助する材料には次のものが多く使われる。
(a)鹿沼土(かぬまつち) 栃木県鹿沼市を中心に産出する黄色の酸性土。砕いたものは保湿力があり,とくにサツキの栽培に適するほか,山野草にも,また一般植物の挿木,挿芽用土として絶好である。みじんをふるい捨てて使用する。
(b)バーミキュライト 火山地帯に産出する蛭石(ひるいし)(雲母結岩)を1200℃で焼成したもので,雲母片で成り,保水力が大きく空隙も保つので,播種用土,挿芽用土として使われる。肥料成分をふくまない。ハワイ島産のものは粒子が粗大である。
(c)パーライト 黒曜石,真珠岩,松脂岩などを1200℃で焼成した白色粒状のもので,空隙に富み軽量。一般用土に腐葉土代りとしてバーミキュライトと同様3割程度混入して用いる。
(d)ピートモス 北ヨーロッパなど原生林中にミズゴケが風化堆積してできた泥炭状のもの。保水力が強く弾力があるため空隙も保持するので,播種用土,挿芽用土とし,川砂と等量にまぜて育苗用土とする。ヨーロッパでは古くから栽培用土として用いられていたが,日本には第2次世界大戦後,フィンランド,ロシアから輸入したものが市販されている。ピートモスを材料とした小鉢は播種,挿芽用に,またこれを圧搾乾燥した円板状のものは水を吸収すると7倍に膨大するので播種用に用いる。
(e)川砂 河川上流の砂は角があり,空隙を保持するので,粘質土に混ぜて栽培に用いたり,挿木,挿芽に利用するほか,山野草,サボテンや多肉植物,東洋ランなどの栽培に愛用される。桐生砂,天神川砂などが著名である。海砂は貝殻片などをふくみ良質であるが,塩分を洗い去ることが必要である。
(f)燻炭(くんたん) もみがらや木片を炭化させたものは多孔質で通気,保水がよく,適宜の大きさにふるい分けて赤玉土や川砂と混ぜて東洋ラン,山野草の栽培に用いる。
腐葉土が入手困難となっている都市では,バーミキュライトやパーライト,ときにはもみがらや燻炭を2~3割混入することによって,草花類も樹木類もかなりよく育つ。
挿木や挿芽のための用土には,粗い川砂,鹿沼土,日向土(ひゆうがつち),パーライト,バーミキュライト,ピートモス,ミズゴケなどが用いられる。これらは保水力があり,通気のよい点で盛んに利用されるが,いずれも肥料効果はないので,発根後は肥土に移し替える必要がある。鹿沼土は酸性が強いので,日本古来のサツキ,ツツジ,アセビ,マツなどの樹木類にはよいが,外来のアルカリ土壌に適した植物には用いないほうがよい。
露地栽培で果樹,野菜,花卉を栽培する場合,毎年収穫があるということは,土中の肥料成分を奪取していることを意味する。したがって,毎年あるいは一作ごとに施肥する必要がある。元肥は播種や植付け,あるいは生育の当初に与えるもの,また追肥はその生育をみて,発育の途中に分けて与えるものをいう。
露地栽培では,1m2当り窒素肥料,リン酸肥料,カリ肥料各20g見当なので,肥料含有率8%の化成肥料を与えるとすれば,20g×100/8=250gを与えるのが標準である。化成肥料1握りが約50gとすれば,約5握りとなるが,この6割を元肥,4割を追肥として与える。葉菜類ではさらに窒素肥料を2割多く,花卉,果樹ではリン酸肥料やカリ肥料を2~3割多く与えるのがよい。
肥料は化学肥料のみに偏らず,窒素肥料として油かす,魚肥など,リン酸肥料として米ぬかや骨粉などを用いるのがよい。またカリ肥料としては草木灰が求めやすいが,灌水や降雨で流れやすいので,回数を重ねる必要がある。
鉢栽培の施肥も露地栽培と同じ基準で,径10cmの鉢は1m2に100鉢並ぶことになるから1鉢当り2.5g(茶さじに軽く1杯)の化学肥料を与えればよい。鉢植えの肥料として慣用されている油かすは肥料成分は少ないが,徐々に分解して肥効を現すので最も無難といえるが,臭気を生ずる欠点がある。油かすに骨粉を加えて用いれば,花木や温室植物には適当である。
化学液肥用には粉末と液状のものがあるが,使用のつど所定の分量の水で薄め,週1回くらい与えるとよい。近年,緩効性の固形肥料などもよく使われている。
→肥料
園芸作業の質と能率をあげるために最小限の用具が必要である。家庭の園芸にあっては次の用具をそろえておきたい。
(a)木ばさみ 切花,小枝の剪定のために必要で,従来大久保型,東型などのものが使われたが,現在はメーカーも多く,特殊鋼のステンレス製品がある。盆栽ばさみは刃先が細い。
(b)剪定ばさみ 樹木の剪定に必要なはさみ。受刃で枝を支え,切刃で切断面を滑らかに切るので傷がなおりやすい。ばねは強度のものを避け,大きさは手首の長さに応じて18~20cmのものを選ぶ。ステンレス鋼のものがよい。
(c)土ぶるい 鉢植用土を調製するとき,みじんをふるい捨てたり粗大粒を除去するために2.5mm目,6mm目,10mm目くらいの3種が必要である。家庭では木枠のステンレス金網の丸ぶるいが使用に便利。
(d)かま(鎌) 大小各種あるが家庭では小型のもので間に合う。
(e)移植ごて 形式,大きさはいろいろあるが,ステンレス鋼の堅牢なものがよい。両側に鋸歯があり,木の根も切れる高級品もある。
(f)シャベル 畑を起こし土の移動に不可欠で,くわ,すきがなくてもこれだけは用意したい。刃先を傷めぬように使用後は釘に掛けておくこと。
(g)レーキ 幅30cm,長さ1.5m程度の鉄製の洋式熊手。清掃,地ならし,土塊砕に便利。
(h)ホー 立姿勢で除草,地ならし,土寄せ,砕土に便利。レーキと併せたホーレーキもある。
(i)じょうろ 植木鉢への灌水に5l,3lのものが使われる。ごみよけの目皿のあるステンレス製のものがよい。蓮口(はすくち)は散水をむらなく柔らかにするための小穴に生命があるので,たいせつに扱うこと。
(j)フォーク 堆肥積みや切返しに必要でチガヤ,コブシの除草にも便利である。
(k)噴霧器 手動式,電動式,手持ち,肩掛け,背負いなど種類が多い。薬剤散布に不可欠の用具。ノズルは噴霧器の要所であるから,手入れをよくすること。
害虫,病害の発生する時期は,温度や湿度,植物の健康状態と関係が大きいから,前もって予測しておき保護対策をとるようにする。
植物体は窒素過多にならないように,通風,受光をよくするとともに,過度に老熟させないように注意する。害虫の種類は多いが,アブラムシ,アオムシ,ネキリムシ,ヨトウムシ,毛虫類には,ピレトリン剤,マラソン剤,MEP剤,DDVP剤,DEP剤などを,カイガラムシ類にはマシン油乳剤,NAC剤などを,ダニ類にはケルセン剤などを使用する。
病害ではボトリチス,黒点病,うどん粉病,炭疽(たんそ)病,銹(さび)病などがあるが,チアジアジン剤,ベノミル剤,キャプタン剤などで予防するか,発病当初に使用して,そのまんえんを防ぐことが必要である。
鉢(ポット)やフラワーボックスを利用すれば,庭でなくとも限られた空間を使って,かなりな程度まで植物の栽培ができる。鉢は素焼鉢以外に,近年ではプラスチック鉢やウレタンポットなどさまざまな材質の鉢がある。フラワーボックスはたんにボックス,またはプランターともいわれ,いろいろな大きさのものが市販されているが,ありあわせの箱でも十分で,小型の草花や野菜では深さ10~15cm,大型のものをつくる場合は深さ20cmくらいに調整すればよい。これらポットやボックスをフラワースタンドに配置すれば,立体的に草花を楽しむこともできる。
→植木鉢
執筆者:浅山 英一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
農業の一部門で、園や畑または温室、フレームなどで、生活に必要な果樹、蔬菜(そさい)、花卉(かき)など栽培植物を生産、改良、加工し、さらには装飾の用などにも供するものである。広義にはこれらを総合したものとしての造園(庭づくり、都市づくり)が含まれる。
園芸に関する中国の農書としては『神農本草経集注(しんのうほんぞうきょうしっちゅう)』(502~556)、『新修本草』(659)、『農桑輯要(のうそうしゅうよう)』(1286)、『群芳譜(ぐんほうふ)』(1621)、『農政全書』(1639)、『秘伝花鏡(かきょう)』(1688)などがあり、園芸の源流と思われる字句がみられるのは『群芳譜』(灌園(かんえん)、芸蔬)や『秘伝花鏡』(鋤園(じょえん)、芸圃(げいほ))である。しかし、成語として園芸という語が使われたのは『英華辞典』(1866)が最初と思われる。これは1884年(明治17)に邦訳されている。日本の古い園芸書として著名なのは『花壇綱目』(1665)、『花壇地錦抄(ちきんしょう)』(1695)などであり、江戸時代初期から園芸が盛んであったことがうかがわれる。そのころには樹芸ということばが使われていた。園は垣で囲まれた土地を、芸は栽培・耕うんを意味する。英語ではhorticultureといい、園はラテン語のホルトスhortusが、芸はクルトラcultraが語源である。庭園的な意味ではガーデニングgardeningであるが、これも語源としては囲む意味のギルドgirdから出ている。
[川上幸男]
園芸学は園芸の理論と技術を学ぶ農学の一分科ということができる。園芸学の一般的分類は次のようになる。
[川上幸男]
果実の生産、利用を目的とし、主として対象となる木本植物の栽培、品種改良を行う。
[川上幸男]
いわゆる野菜であるが、大別して葉を目的とする葉菜、根を目的とする根菜、果実を目的とする果菜に分けられる。これらの主として有用草本植物の栽培、品種改良、利用を行う。
[川上幸男]
観賞用の草花および花木の栽培、品種改良、利用を行う。広い意味では盆栽、花卉装飾をも包含する。
[川上幸男]
農産製造工業の一部門であり、農芸化学の一分野でもある。ジャム、マーマレード、ケチャップなど園芸生産品の加工を行うのが主目的である。
[川上幸男]
園芸の分野だけでは掌握しきれない面があるが、狭義には園芸の一分野といえる。いわゆるガーデニングのことで、園をつくることが目的であるが、近来はランドスケープ・アーキテクチュアlandscape architectureといわれていて、直訳すれば「風景を建築する」ということになり、建築、土木などのほかの科学分野とのかかわりが深く、都市づくり、環境づくりなどの重要な役割をもっている。
以上は学問的分類である。次に栽培形態からみてみよう。
[川上幸男]
営利栽培ともいう。園芸を職業としている人たちが、高度の品質、多収穫、耐病性の優秀品種を選んで能率生産を目的とするもの。消費者に果実、蔬菜、果樹などの食品、花卉、花木、観賞用樹木、観葉植物、地被植物などの装飾品や実用品を、市場を通じて供給する。
[川上幸男]
家庭園芸がこれで、果樹、蔬菜、花卉や造園を通じて特色ある品種を多角的に集めて栽培し、観賞をおもな目的とする。園芸の発達はこの趣味園芸が大きく力になっていたといえる。とくに江戸時代における武士や町人の趣味園芸が今日のわが国特有の花卉をつくったといっても過言ではない。それらはアサガオ、イワヒバ、ウメ、オモト、カエデ(モミジ)、カンアオイ、キク、サツキ、セキショウ、ツツジ、ツバキ、東洋ラン、ナデシコ、ナンテン、ニホンサクラソウ、ハナショウブ、ハラン、フクジュソウ、フジ、ボケ、ボタン、ユキワリソウなどである。
さらに施設などを使う意味合いでの見方として次のようなものがある。
[川上幸男]
主として熱帯・亜熱帯植物の果樹、蔬菜、花卉を暖室を含めた温室(ガラス、「ファイロン」、ビニル)で栽培するもの。栽培の形態は地植え、床植え、鉢植えなどがある。
[川上幸男]
果樹、蔬菜、花卉、造園用樹木、地被植物などを鉢または鉢に準ずる容器で栽培利用する分野。温室、暖室、圃場(ほじょう)の営利分野から趣味園芸の領域に至る広い範囲で栽培される。栽培鉢、装飾鉢の進歩改善、用土の改善から水耕・礫耕(れきこう)材料などの開発も急速に進められている。
[川上幸男]
鉢物園芸とは違った意味での特殊な分野で、長い年月を一定の鉢の中で栽培し、独特の美的効果を表すもの。日本や中国での発達が著しいが、近年は欧米各国における栽培熱の向上が目だつ。
[川上幸男]
今日では遺伝子工学の進歩発達による組織培養の分野も、専門の営利、生産の範囲のみならず趣味園芸、一般園芸への浸透が活発に行われている。
[川上幸男]
『浅山英一著『原色図譜園芸植物・露地編』(1980・平凡社)』▽『浅山英一著『原色図譜園芸植物・温室編』(1980・平凡社)』▽『鶴島久男著『花卉園芸ハンドブック』(1983・養賢堂)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…真に〈日本的なるもの〉が創造されるためには,中世を迎え,新興庶民階級が歴史のひのき舞台に駆けあがるのを待たねばならなかった。 〈花の見かた〉に即して考えるのに,中世農民たちは自力で灌漑技術の改良や荒蕪地(こうぶち)開墾を押し進めていくあいだ,草木の形状や生態に注意を向けるようになり,ついには花の園芸品種を開発するまでになった。その代表例がサトザクラの開発であった。…
…それは通常の歌舞音曲にとどまるものではなかった。むしろ朝顔に代表される園芸が,この場合いい例となる。江戸市中にみられた朝顔栽培の流行は,珍奇な花を咲かせて競いあうものであったが,それには最低限の育種学的な知識を必要としていたはずであり,江戸の長屋の住民は,今日なら科学や学問の範囲に入るようなことまで,遊芸の範囲に取り込んでしまっていたのである。…
※「園芸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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