フーイヤンクラブ(その他表記)Club des Feuillants

改訂新版 世界大百科事典 「フーイヤンクラブ」の意味・わかりやすい解説

フーイヤン・クラブ
Club des Feuillants

フランス国王ルイ16世の亡命未遂事件(バレンヌ逃亡)の直後,国王廃位の問題をめぐり,1791年7月,主としてジャコバン・クラブから分離したメンバーにより結成されたクラブ。パリのチュイルリー宮殿近くのフーイヤン派修道会(シトー派修道会の流れをくむ)のもと僧院にその本部を置いたのでフーイヤン派とよばれるようになった。その主たる会員には,バルナーブデュポール,ラメト兄弟の〈三頭派〉や,〈89年のクラブ〉より参加したバイイ,ラ・ファイエット,シェイエスらがいて,政治的には立憲君主制と1791年の憲法を維持することを目ざしていた。このクラブを拠点とするフーイヤン派は立法議会右派を占めた。しかし92年8月10日の革命による王政廃止と共和政の樹立とともに,その影響力は急速に衰え,主たるメンバーは恐怖政治下に処刑されるか,亡命を余儀なくされた。
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百科事典マイペディア 「フーイヤンクラブ」の意味・わかりやすい解説

フーイヤン・クラブ

フランス革命期の立憲君主派グループ。フランス語でFeuillants。1791年ジャコバン・クラブから離脱したメンバーにより,フーイヤン修道院で結成。自由主義貴族・上層ブルジョア・地主からなる。このクラブを中心としたフーイヤン派は立法議会では右派で,ジロンド派と対立した。おもな会員としてラ・ファイエット,バルナーブらがいた。
→関連項目バルナーブ立法議会

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