20世紀日本人名事典 「フーバーブレーン」の解説
フーバー ブレーン
Hoover Blain
07の労働問題専門家 元・GHQ民政局公務員課長。
- 国籍
- アメリカ
- 生年
- 1893年1月23日
- 没年
- 1950年9月3日
- 出生地
- コロラド州レッドクリフ
- 学歴〔年〕
- ベロア大学(ウィスコンシン州),シカゴ大学〔’15年〕卒
- 経歴
- 1910年以降USスチール社、フランクリン・マックビー社、米国船舶委員会、シューマン社、エール大学出版局などで雇用・人事関係の仕事に従事。’35年イリノイ州事業促進局雇用部長、’37年シカゴ・パーク区人事委員会雇用監督官を経て、’43〜46年アメリカ・カナダ人事行政委員会理事、’45〜48年同委員会委員長。’46年末GHQ(連合国軍最高司令部)民政局の招聘によるアメリカ人事行政顧問団(フーバー使節団)団長として来日。’47年6月職階制に基づく近代的人事行政・公務員制度を導入し日本の官僚制度改革を勧告する「フーバー報告書」を作成。この勧告に基づき同年国家公務員法が成立したが、フーバーは公務員の争議権剥奪条項などが削除されているのを不満として同年末に再来日し、GHQ民政局公務員課長に就任(’49年まで在任)、経済科学局労働課長キレンなどの強力な反対を押し切り、マッカーサー元帥の支持を得て’48年11月争議行為禁止などを盛り込んだ改正国家公務員法を成立させた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報