フーバー(読み)ふーばー(英語表記)Herbert Clark Hoover

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フーバー」の意味・わかりやすい解説

フーバー(Robert Huber)
ふーばー
Robert Huber
(1937― )

ドイツの化学者。ミュンヘンに生まれる。ミュンヘン工科大学で化学を学び、1960年に卒業、同大学にとどまり研究を続けた。1972年にマックス・プランク生化学研究所に入所したが、ミュンヘン工科大学でも研究を続け、1976年には同大学の教授となった。1987年にはマックス・プランク生化学研究所長に就任した。

 フーバーは、大学時代から有機化合物の構造決定の研究に着手した。のちにマックス・プランク研究所において、タンパク質のX線構造解析チームのリーダーとして精力的に研究を展開し、フーバー研究室をその分野での世界有数の研究チームに仕上げた。1982年に同研究所のミヘル光合成細菌から光合成反応中心物質の結晶化に成功したが、ミヘルはフーバーに結晶の解析の共同研究を提案した。フーバーは長年の共同研究者であるダイゼンホーファーとともに結晶のX線構造解析を開始し、色素分子をタンパク質が取り囲んだ複雑な三次元構造の解明に成功した。1988年にフーバーは、ダイゼンホーファー、ミヘルとともにノーベル化学賞を受賞した。

[編集部]


フーバー(Herbert Clark Hoover)
ふーばー
Herbert Clark Hoover
(1874―1964)

アメリカ合衆国第31代大統領(在任1929~1933)。8月10日アイオワ州生まれ。スタンフォード大学で採鉱学を専攻メキシコ、カナダなど海外で採鉱事業に従事した(1895~1913)。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)後、ロンドンのアメリカ救済委員会、ベルギー救済委員会、合衆国食糧管理局の長官として卓越した行政能力を発揮した。ハーディング、クーリッジ両共和党政権の下で商務長官を務め(1921~1929)、実業界中心の立場にたちながら繁栄期の経済政策の面で中心的役割を演じ、とくに企業活動の条件の改善と合理化の指導に尽力した。1928年の大統領選挙で共和党から当選した。大恐慌の勃発に際し、当初は楽観的見地にたって連邦政府の介入に消極的態度をとったが、景気の悪化に伴い、復興金融公社の設立(1932)や失業救済事業など積極的な施策に着手、国際経済の分野でも「フーバー・モラトリアム」を提唱した。だが恐慌の克服に失敗し、1932年の選挙で敗北。第二次世界大戦後はフーバー委員会をとおして行政機構改革に尽力した。1964年10月20日没。

[新川健三郎]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フーバー」の意味・わかりやすい解説

フーバー
Hoover, Herbert Clark

[生]1874.8.10. アイオワ,ウェストブランチ
[没]1964.10.20. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカの政治家。第 31代大統領 (在任 1929~33) 。 1895年スタンフォード大学卒業。オーストラリアや中国の鉱山開発などに従事したあと,1908年鉱山事業で成功。 17年食糧庁長官,21年商務長官,28年 A.スミスを破って大統領に当選。しかし経済恐慌に見舞われたため,連邦農業委員会を強化して穀物,綿花を買支え,また復興金融公社を設立して銀行,鉄道,保険会社などに対する融資を行うなど,恐慌対策に終始した。 32年の大統領選挙では F.ルーズベルトに敗れ,引退。その後は H.トルーマン政権下で行政府機構委員会 (→フーバー委員会 ) 委員長,外国訪問などを通じて内外政策に貢献した。著書『回想録』 The Memoirs of Herbert Hoover (3巻,1951~52) ,"American Epic" (2巻,59~60) など。

フーバー
Huber, Max

[生]1874.12.28. チューリヒ
[没]1960.1.1. チューリヒ
スイスの法学者。 1902年チューリヒ大学教授,13年外務省法律顧問,21年常設国際司法裁判所判事,25年同長官,24年ハーグの常設仲裁裁判所長官となった。裁判義務による国際紛争の平和的解決を強調し,常設国際司法裁判所設置の素地をつくり,同裁判所規程草案の作成に尽力した。その他,国際平和のため赤十字国際委員会で活躍。 28~44年その会長をつとめ,49年のジュネーブ4条約の成立に貢献した。主著『国際法の社会学的基礎』 Die soziologischen Grundlagen des Völkerrechts (1928) ,『国際赤十字委員会の活動の原則と基礎』 Grundsätze und Grundlagen der Tätigkeit des Internationalen Komitees von Roten Kreuz (47) ,『著作権』 Vermischte Schriften (3巻,47~48) 。

フーバー
Hoover, John Edgar

[生]1895.1.1. アメリカ,ワシントンD.C.
[没]1972.5.2. アメリカ,ワシントンD.C.
アメリカの公務員。ジョージ・ワシントン大学夜間部に通い,1917年法学修士号を取得。同年司法省捜査局 (連邦捜査局 FBIの前身) に入局,24年 FBI長官に就任した。以来終身その職にあって,捜査官の人選,訓練を厳格にし,世界最大の指紋記録ファイルをつくり,犯罪の科学的な解明などに努め FBIの権威を高めた。独身で,FBIの政治的中立を保つよう努力した。在職中その独裁的なやり方がしばしば批判されたが,彼の偉大な名声のため,どの大統領もあえて彼を解任することはなかった。

フーバー
Huber, Robert

[生]1937.2.20. ミュンヘン
ドイツの生化学者。 1963年ミュンヘン工科大学で博士号を得て,マックス・プランク研究所生化学研究所に入った。 J.ダイゼンホーファー,H.ミヒェルとともに光合成細菌の膜蛋白質の立体構造を解明。フーバーは光合成反応の中心となる蛋白質の結晶にX線を当てるX線回折の手法で,原子単位での構造解明に貢献した。3人の研究は光合成反応の機構研究を前進させ,88年ノーベル化学賞受賞。

フーバー
Huber, Wolf

[生]1485頃.フェルトキルヘ
[没]1553. バイエルン,パッサウ
ドイツの画家,素描家。 A.アルトドルファーとともにドナウ派の代表者の一人。 1510~15年アルトドルファーのもとで修業した。 15年からパッサウに定住して,40年まで宮廷画家として活躍。作品は『聖アンナの祭壇画』 (1521,フェルトキルヘ聖ニコラス聖堂,ウィーン美術史美術館) ,詩的風景画『ダニューブ渓谷』 (29,ベルリン国立美術館) 。

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