ブラディミレスク(その他表記)Tudor Vladimirescu

改訂新版 世界大百科事典 「ブラディミレスク」の意味・わかりやすい解説

ブラディミレスク
Tudor Vladimirescu
生没年:1780ころ-1821

1821年のワラキア反乱の指導者。ルーマニアのワラキア地方西部(オルテニア地方)のブラディミリ村の生れ。自由農民の出身であるが,家畜の売買や土地の貸付などで資産を築き,小さな所領をももった。この地方に発達していたパンドゥリ(自衛のための農民兵)組織に入り,1806-12年の露土戦争にはパンドゥリの義軍兵を率いてロシア軍に編入され,オスマン軍との戦いで功績をあげた。14年オデッサで設立され,反オスマン蜂起を準備していたギリシア人の秘密結社エテリアと接触を保ち,21年1月ブカレストを出発してオルテニアへ向かい,そこで蜂起宣言を発表したが,パンドゥリをはじめ数千の農民がこれに加わった。2月,モルドバに入ったエテリア軍がオスマン軍に対する出撃を躊躇する間に,彼の農民軍はブカレスト郊外のコトロチェニに宿営した。遅れてエテリア軍もブカレストに到着したが,両者は戦術的に合意に達することができず,5月,彼は農民軍を率いてオルテニアへ向かい,そこで防衛態勢を敷こうとしたが,途中ゴレシュティでエテリア軍の奸計にあい,白軍から連れ去られて虐殺された。結局ルーマニア農民軍もエテリア軍もオスマン軍によって各個撃破されたが,この蜂起によってワラキア,モルドバのファナリオット支配の制度が廃止され,スルタンの命によりワラキア公とモルドバ公は現地貴族のあいだから選ばれるようになった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブラディミレスク」の意味・わかりやすい解説

ブラディミレスク
Vladimirescu, Tudor

[生]1780. ワラキア,ゴルジュ
[没]1821.6.7. トゥルゴビシュテ
ルーマニアの民族蜂起指導者。ワラキアの自由農民の家庭に生れた。 1806~12年露土戦争にロシア軍側で参戦,農民軍の部隊長。ヘテリア蜂起を好機とみて挙兵ルーマニア人の権利拡大を目指した。農民兵の離反,貴族層との対立の結果裏切りにあい,殺害された。

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