日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘブラ」の意味・わかりやすい解説
ヘブラ
へぶら
Ferdinand Ritter von Hebra
(1816―1880)
オーストリアの皮膚科学者。近代皮膚科学を樹立した。ウィーン学派創立者の一人。ブリュンに生まれる。グラーツ大学を経て、ウィーン大学で医学を学び、1841年に卒業。一般臨床を内科医のスコーダに、病理学を病理解剖学者のロキタンスキーに学び、1845年ウィーン大学皮膚科主任、1869年同教授。当時あまり関心のもたれていなかった皮膚におこる疾患に注目し、皮膚科学を独立した体系とした。湿疹(しっしん)や疥癬(かいせん)について研究し、それまでの病原説を改め、これらを治療しうることを示した。病理解剖学的立場から皮膚疾患の系統的分類を行い、紅色粃糠(ひこう)疹や疱疹(ほうしん)状膿痂(のうか)疹について記載した。その皮膚科学書や図譜は、その後の基本となった。日本の土肥慶蔵(どひけいぞう)は皮膚科学をカポシMoritz Kaposi(1837―1902)に学んだが、カポシはヘブラの高弟で、したがって、日本にもヘブラの皮膚科学が導入され定着したといえる。
[長門谷洋治]