明治〜昭和期の医学者 東京帝大医学部教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
医学者。日本の近代皮膚科学を確立し、性病予防に努めた。梅毒の伝播(でんぱ)経路の研究など医史学面での業績も大きい。福井県生まれ。顎軒(がっけん)と号す。1890年(明治23)帝国大学医科大学卒業。1893年ヨーロッパに留学し、カポシMoritz Kaposi(1837―1902)につき正統的な皮膚科学を日本に移入した。1898年東京帝国大学教授となり、皮膚科学と性病学を大成し、診療科として独立させ、さらに泌尿器科学を分離・独立することに意を用いた。新しい皮膚疾患の記載をなすとともに、治療法を開拓し、日本の症例をもとにした教科書や図譜の出版を行った。日本皮膚科学会を創始し、その会誌を創刊するとともに、日本花柳病予防会をおこして、啓蒙(けいもう)的な雑誌の発刊を通じて性病予防に尽力し、さらに、らい(ハンセン病)予防にも努力した。ムラージュ(ろう標本)の技法を導入、皮膚病像の忠実な再現を行った。梅毒の新大陸発生説を唱え、古代発生説を排した。中央衛生会委員、癌(がん)研究会(現、がん研究会)副会頭などを歴任し、学士院賞を受けた。主著に『皮膚科学』『日本皮膚病黴毒(ばいどく)図譜』『世界黴毒史』がある。
[長門谷洋治]
日本近代皮膚科学の確立者。梅毒の伝播の研究をはじめ,医史学面でも大きな業績を残す。福井県生れ。鶚軒(がつけん)と号する。東大卒業後欧州に留学,F.vonヘブラに就き欧州の正統的な皮膚科学を日本にもち帰り,1898年東大教授となり,皮膚科学,性病学,さらには泌尿器科学とその診療を独立させた。新しい皮膚疾患の記載をなすとともに,治療法を開拓し,教科書や図譜の出版を行い,日本皮膚科学会を創始した。またムラージュ(蠟標本)を導入,皮膚病像の忠実な再現をなした。さらに日本花柳病予防会をおこし,啓蒙的な雑誌を発行するなどして性病予防に努めた。著書に《皮膚科学》《日本皮膚病黴毒(ばいどく)図譜》《日本黴毒史》ほかがある。
執筆者:長門谷 洋治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…その後の基本となった皮膚科学書や図譜を上梓した。日本の皮膚科学も,ヘブラの弟子であるカポジMoritz Kaposi(1837‐1902)のもとに学んだ土肥慶蔵により,ヘブラのそれが導入され,定着した。【長門谷 洋治】。…
※「土肥慶蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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