ヘルマンマイヤー(英語表記)Hermann Maier

現代外国人名録2016 「ヘルマンマイヤー」の解説

ヘルマン マイヤー
Hermann Maier

職業・肩書
元スキー選手(アルペン) 長野五輪アルペンスキー男子スーパー大回転・大回転金メダリスト

国籍
オーストリア

生年月日
1972年12月7日

出生地
フラショー

学歴
シュラドミンク商業高中退

経歴
ジュニア時代アルペンスキーのオーストリア・チャンピオンに。15歳の時、怪我で選手生活を断念し、スキー・インストラクターの傍ら、レンガ職人として生計をたてていた。イタリアの英雄アルベルト・トンバの市販ビデオを見ながら独学で練習を続け、1994年欧州カップへの出場が認められる。’95年W杯代表メンバーに選ばれ、リレハンメル大会男子スーパー大回転11位。’96〜97年シーズン優勝1回、2位1回などでW杯総合21位。’97〜98年シーズンに入りオーストリアチームのエースに成長。長野五輪スーパー大回転と大回転で金メダルを獲得。W杯はスーパー大回転と大回転で種目別優勝し、総合優勝も決める。’98〜99年シーズンW杯スーパー大回転で種目別優勝、世界選手権はスーパー大回転、滑降で優勝。’99年〜2000年シーズンW杯は個人総合、滑降、スーパー大回転、大回転で優勝、4冠獲得は史上3人目の快挙。2000〜2001年シーズンW杯で2季連続の4冠を達成、また歴代1位のインゲマル・ステンマルク(スウェーデン)に並ぶ1シーズン最多の13勝を挙げる。2001年8月オートバイ事故で右膝切断一歩手前の重傷を負い、2002年2月のソルトレークシティ五輪には出場できなかった。奇跡的に復活し、2003年1月2季ぶりに復帰したW杯スーパー大回転で優勝。2003〜2004年シーズンW杯で4度目の総合優勝を飾る。2006年トリノ五輪はスーパー大回転で銀メダル、大回転で銅メダル。2008〜2009年シーズン終了後に膝の手術を受け、2009年10月練習を再開したが、同月現役を引退した。W杯通算54勝。“ハーミネーター”の愛称で親しまれた。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「ヘルマンマイヤー」の解説

ヘルマン マイヤー
Hermann Maier
スキー

スキー選手(アルペン)
生年月日:1972年12月7日
国籍:オーストリア
出生地:フラショー
学歴:シュラドミンク商業高中退
経歴:ジュニア時代アルペンスキーのオーストリア・チャンピオンに。15歳の時、怪我で選手生活を断念し、スキー・インストラクターの傍ら、レンガ職人として生計をたてていた。イタリアの英雄アルベルト・トンバの市販ビデオを見ながら独学で練習を続け、1994年欧州カップへの出場が認められる。’95年W杯代表メンバーに選ばれ、リレハンメル大会男子スーパー大回転11位。’96〜97年シーズン優勝1回、2位1回などでW杯総合21位。’97〜98年シーズンに入りオーストリアチームのエースに成長。長野五輪スーパー大回転と大回転で金メダルを獲得。W杯はスーパー大回転と大回転で種目別優勝し、総合優勝も決める。’98〜99年シーズンW杯スーパー大回転で種目別優勝、世界選手権はスーパー大回転、滑降で優勝。’99〜2000年シーズンW杯は個人総合、滑降、スーパー大回転、大回転で優勝、4冠獲得は史上3人目の快挙。2000〜2001年シーズンW杯で2季連続の4冠を達成、また歴代1位のインゲマル・ステンマルク(スウェーデン)に並ぶ1シーズン最多の13勝を挙げる。2001年8月オートバイ事故で右膝切断一歩手前の重傷を負い、2002年2月のソルトレークシティ五輪には出場できなかった。奇跡的に復活し、2003年1月2季ぶりに復帰したW杯スーパー大回転で優勝。2003〜2004年シーズンW杯で4度目の総合優勝を飾る。2006年トリノ五輪はスーパー大回転で銀メダル、大回転で銅メダル。2008〜2009年シーズン終了後に膝の手術を受け、2009年10月練習を再開したが、同月現役を引退した。W杯通算54勝。“ハーミネーター”の愛称で親しまれた。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

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