改訂新版 世界大百科事典 「ベリングスハウゼン」の意味・わかりやすい解説
ベリングスハウゼン
Fabian Gottlieb von Bellingshausen
生没年:1779-1852
ロシアの提督で南極探検家。ロシア名はベリンスガウゼンFaddei Faddeevich Bellinsgauzenで,一般にはドイツ名ベリングスハウゼンで呼ばれる。エストニア共和国サーレマー島(当時エゼリ島)の地方貴族の子として生まれた。10歳で海軍幼年学校に入学,17歳で少尉候補生,23歳の中尉時代,レザノフ使節乗艦に乗り組み来日したことがある。艦長クルーゼンシテルンの指導で航海術,海図作成法,指揮能力を磨いた。1819年クルーゼンシテルンの推挙で,南極艦隊司令官に任命され,帆走艦ボストーク号,帆船ミールヌイ号を率いて南極大陸を初めて周航した。20年1月16日南緯69°21′28″,西経2°14′50″で南極大陸を発見,ロシア人はベリングスハウゼンこそ南極大陸発見者とする。アレクサンダー島,ピョートル1世島など29の島を発見し,海洋学上は極洋の組織的な海深・海流調査を実施,昼夜の気象観測データは今日も南極研究の基礎知識として生きている。751日9万2000kmの大航海を終え,21年8月6日帰投,25年まで資料を整理し,31年《1819-21年の南氷洋における2回の大陸探究と世界一周航海》(2巻)を刊行した。1828年露土戦争に従軍,バルナ占領で戦功を立て,31年艦隊司令官,39年クロンシュタット軍港長官に任命され,43年海軍大将となる。
執筆者:石山 洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報