ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボレスワフ1世」の意味・わかりやすい解説
ボレスワフ1世(勇敢王)
ボレスワフいっせい[ゆうかんおう]
Bolesław I, Chrobry
[没]1025.6.17.
ポーランド王 (在位 992~1025) 。父のミエシコ1世没後,ウィエコポルスカ地方を拠点にして国家統一事業を継承,強力に推進した。 1000年グニェーズノに大司教座を設置して神聖ローマ皇帝オットー3世を招致。ウロツワフやクラクフなど諸都市に司教座を設置して国内統治の布石を打ち,オットー3世没後にはオドラ (オーデル) 川以西に遠征して領土を拡大。 03年にはボヘミアを統合するため,神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世とボヘミアの諸侯との戦いを開始し,18年ブジシンの和によりウジツェミルコを統合,モラビア地方もポーランドの支配下においた。同 18年転じてキエフのシフィトポールク大公とその弟ノブゴロドのヤロスラフ大公との争いに干渉して,キエフ地方をもポーランド領とした。没年の 25年に王号取得を実現して国家建設の偉業を達成し,スラブ諸民族の国家創建時代に指導的役割を演じた。
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