ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オットー3世」の意味・わかりやすい解説
オットー3世
オットーさんせい
Otto III
[没]1002.1.23. ビテルボ近郊
ザクセン朝第4代のドイツ王 (在位 983~1002) ,神聖ローマ皇帝 (在位 996~1002) 。オットー2世の子。3歳にしてドイツ王となり,母と祖母の後見を受け,996年親政後,ローマの貴族クレスケンチウスによって追われた教皇ヨハネス15世のため第1回ローマ遠征を行なう。教皇の急死後,従兄のブルノを推して教皇グレゴリウス5世とし,996年グレゴリウス5世はオットー3世に帝冠を与えた。997年クレスケンチウスのもとに対立教皇が出現したので第2次遠征を行ない,999年グレゴリウスの死により,師ゲルベルトを教皇シルウェステル2世とした。1000年アーヘンでカルル1世の墓を発掘。カルル大帝の熱烈な崇拝者であり,キリスト教を基礎とし,ローマを首都とする世界帝国の実現を志したが早逝し成就できなかった。治世中,帝国修道院領は 85に達し,オットー1世以来の帝国教会政策はさらに進展した。
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