ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バシリウス2世」の意味・わかりやすい解説
バシリウス2世
バシリウスにせい
Basilius II Bulgaroctonus
[没]1025.12.15.
ビザンチン皇帝 (在位 976~1025) 。弟コンスタンチヌス8世とともに父ロマヌス2世存命中に共同副帝として戴冠していたが,父の死 (963) 後も摂政のため実権を得ることなく,27歳のとき,ようやく名実ともに正帝となった。バルダス・フォーカスの反乱の鎮圧 (987~988) にキエフ公国のウラジミール (妹アンナと反乱後婚姻) の援軍を得,これを機にキエフ公国はキリスト教を受容,キエフ大司教はコンスタンチノープルの総主教の監督下に入った。バルカン半島ではサムエル王指揮下のマケドニア王国が帝国領を侵害,このため 23年間ブルガリア戦役が続いた。クレイディオンの戦い (1014) に勝利を収め,全バルカン半島を再び帝国領とした。このため「ブルガリア征服王」 Bulgaroctonusと呼ばれる。続いてシリア,アルメニアを攻略,占領後この地に7つのテマを新設,バルカン半島のそれと合せると 10を数え,ユスチニアヌス1世以来最大の領土を獲得,マケドニア朝の最盛期を築いた。国内的には自由農民の耕作地を大土地所有者から守るための法律改正を行い,国内の封建化を押えた。南イタリアを基地にシチリア島のイスラム勢力掃討の準備中,急死。
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