日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボーリング条約」の意味・わかりやすい解説
ボーリング条約
ぼーりんぐじょうやく
Bowring Treaty
1855年4月18日、イギリス全権香港(ホンコン)総督ジョン・ボーリングSir John Bowringが、シャム(タイ)王国との間に締結調印した「イギリス・シャム修好通商条約」。12条の修好条規および通商章程、税率表よりなる。翌年5月13日在厦門(アモイ)・イギリス領事パークスHarry S. Parkesとの間に同条約の補足協定が締結された。自国産業資本による世界市場開拓の要請に押されたイギリスが、王室独占貿易に基づく閉鎖的対外政策をとり続けるシャムに、自由貿易の原則の承認を求めた条約で、これによりシャムを近代国際法秩序を前提とする国際貿易体制に組み込むことを目的としている。本条約の締結は、開明的なラーマ4世モンクット(在位1851~68)の決断によるものであるが、その結果シャムの伝統的な閉鎖的貿易体制は崩壊し、これを基盤とする伝統的権力機構も再編を余儀なくされた。また米輸出を飛躍的に増大させ、デルタに急速な開田が進行する契機をつくった。
[石井米雄]