ポソシコフ(その他表記)Ivan Tikhonovich Pososhkov

改訂新版 世界大百科事典 「ポソシコフ」の意味・わかりやすい解説

ポソシコフ
Ivan Tikhonovich Pososhkov
生没年:1652-1726

ピョートル大帝時代のロシア経済学者,評論家。銀細工職人の家に生まれ,独学でロシアの社会経済改革を論じ,晩年にはブドウ酒製造業,麻布工場の経営を手がけた。ピョートル大帝の改革を支持し,《窮貧と富についての書》(1724)などの建白書を著してロシアの軍隊の近代化,国民教育の実施,法制の整備,経済政策の改善などの必要を主張した。その改革案のため逮捕され,最後は獄死したが,思想的には保守的な面も強く,ロシア正教を擁護し,農奴制も容認していた。経済的には商人の保護による交易の拡大,官製工場の創設を主張しており,基本的には重商主義者とみなされる。
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関連語 義夫

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポソシコフ」の意味・わかりやすい解説

ポソシコフ
Pososhkov, Ivan Tikhonovich

[生]1652
[没]1726.2.1. ペテルブルグ
ロシアの経済学者,社会評論家。銀細工師の家庭に生れ,1724年有名な『貧富の書』 Kniga o skudosti i bogatstveを著わした。これはロシアの経済・政治制度の改革を目指して,ピョートル1世 (大帝) のために書かれたものであった。そして国の富をふやすために重商主義の観点から貴族特権を批判したもので,このため 25年8月逮捕されて,獄中で死んだ。

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