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政治制度 せいじせいど

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

政治制度
せいじせいど

政治機構」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

政治制度
せいじせいど

政治運営を正常にかつ効率よく行うための統治組織。政治機構ともいう。議会制度、三権分立制、議院内閣制、大統領制などがその例である。[田中 浩]

制度と政治

人間は孤立して生存することはできないからなんらかの集団を形成して生命の保存と生活の安全を図る。その際、これらの集団においては、集団内部の安全性と、外敵からの攻撃を防止するための統一性を保持する意味でなんらかの統制機能を果たす政治制度・政治機構が必要となる。もっとも、その集団が数十人、数百人規模の小集団であれば、1人あるいは少数者の個人的意志や決定による統治・支配も可能であろう。しかし、集団の規模が数千人、数万人、さらには数百万、数千万人以上になると、成員多数の政治参加を容認するなんらかの政治制度を設けることなしには、成員の自由や権利を保障し、民主的な政治運営を行うことはとうてい不可能となろう。古代ギリシアの都市国家の時代にアリストテレスらによってさまざまな政治制度論が展開されたのはそのためである。しかし、その後の中世封建社会においては、政治支配の方式は、君主や領主などの「人の支配」を中心とする専制主義的な色彩が強かったから、市民革命によって「法の支配」による民主的な政治制度の確立が図られたのである。したがって、政治制度は、民主的な政治運営によって人間の自由や権利を保障することを目的として設立された組織であるといってもよいであろう。[田中 浩]

近代的政治制度論の誕生

近代において政治制度を民主政治と関連づけて最初に理論化したのは、ホッブズの同時代人、ジェームズ・ハリントン(1611―77)である。彼はその著『オシアナ』(1651)において、アリストテレスやマキャベッリに範をとり、政治の目的、政治の要諦(ようてい)は「法の支配」の実現にあるとし、そのような政治運営を保障できるような政治制度を提案している。
 ところで「法の支配」を実現するためには、まず国民多数の意志を反映できるような立法部を創設することが必要である。このため彼は、従来の選挙資格を緩めて(30歳以上の成年男子)参政権の範囲を拡大して、いずれも民選の二つの議院による立法部の創設を提案している。この場合、注目すべきことは、ハリントンが、立法部自体の専制化を防止するために、法律や政策を立案するだけの院The Senateと、それらを議決するだけの院The Peopleとに分けている点である。議会が提案権と同時に議決権をもつ(現代の議会はすべてそうであるが)と専制化する危険があるというハリントンの考えは、革命前のイギリス議会は特権層だけの利益を代表しているという認識に基づくものと思われる。いずれにせよ、彼の両院間の権限の分離の思想は、後のロックやモンテスキューの権力分立論の源流をなすものといえる。また今日のアメリカにおいて、大統領内閣と議会との間で厳格な権力分立制がとられ、司法部に違憲立法審査権を与えて、行政部だけでなく立法部の専制化をチェックさせようとしている制度は、ハリントンの『オシアナ』を応用したものといえる。ところでハリントンは、行政官はThe Senateから「くじ引き(バロット)」によって選出されるとしているが、これは国民代表機関としての議会に行政の責任を負うというイギリス型議院内閣制の先駆けをなす考え方といえよう。また彼は、議員、行政・司法官はすべて「くじ引き」によって選ばれ、任期は2年で交替すべしと述べている。この「くじ引き」と「交替制(ローテーション)」(輪番制)による議員や官吏の選出方法は、古代ギリシアの都市国家における政治制度を模倣したものだが、権力の集中化、金権政治を排除するという意味で重要である。もっとも、ハリントンの斬新(ざんしん)な政治制度論は、ジェファソンによって建国後のアメリカの政治制度に部分的に採用されたものの、母国イギリスにおいても、他の国々においても、実際には採用されなかった。しかし、両院ともに民選の立法部と厳格な権力分立制を採用することによって「法の支配」を実現しようとするハリントンの提案は、近代における民主的政治制度の原型を打ち出したものとして高く評価できるであろう。[田中 浩]

政治制度の諸類型

近代以降の民主主義国家の政治制度には、大きく分けてイギリス型の議院内閣制、アメリカ型の大統領制、それに社会主義型の政治制度がある。
 イギリスの議院内閣制は、議会を重視する政治運営の方式といえよう。このようにイギリスにおいてとくに議会が国民の間で尊敬をかちえたのは、市民革命期に議会が絶対君主を打倒する拠点であったという歴史的事情による。イギリスではピューリタン革命と名誉革命の二つの市民革命によって、議会は国政の最高機関としての地位を確立した。ロックが、もしも議会と行政部の長である国王の意見とが対立したときには前者が後者に優位すると述べたとき、それは一つには「君臨すれども統治せず」(立憲君主制)、一つには議会に責任を負って政治を行うという後の議院内閣制の二つの政治原理確立の方向を予示していたものといえよう。事実、イギリスではその後、18世紀中葉ごろまでに初代首相ウォルポールらの努力によって議院内閣制の慣行が確立し、1832年から1928年にかけて順次参政権を拡大しつつ議会の国民代表的性格を実現し、さらに1911年には下院の上院に対する絶対的優越が認められて、現在ではイギリスは「下院万能の国」といわれるまでの民主主義国家となった。
 ところで、議院内閣制の特色は、解散制度があるという点である。この制度は、重要な政策について与野党の意見が対立して議会内で調整がつかないときには、主権者である国民の意志を問う(国民への提訴(アッピール・ツー・ザ・ネーション))という趣旨で設けられたもので、民主政治の思想をもっともよく表したものとしてイギリス人が誇りとしている制度である。この点、戦前には官僚・軍閥内閣が議会を抑圧するために解散権を乱用したり、戦後にあっては解散権は首相の専決事項であるとして党利党略のために解散権を行使したりする日本の政治風土は、解散権本来の趣旨からもっとも遠く離れたものといえよう。
 その国に大統領がいれば大統領制をとっているというわけではない。大統領制とは、アメリカにみられるように、その政治制度が議院内閣制をとらず、かつ厳格な三権分立制を採用している場合をさすのである。アメリカで厳格な三権分立制がとられているのは、独立戦争前に本国議会に抑圧された苦い経験から、立法部の専制化を恐れ、議会と内閣(大統領府)の権限を均衡させ、また裁判所に議会制定法や内閣の命令をチェックさせる権限(違憲立法審査権)を与えたためである。ところで、イギリス人たちは、イギリスの政治制度では解散制度によって柔軟に国民の意志を議会に反映させることができるのに対し、アメリカでは解散制度がないから、もしも大統領の選出を誤れば、4年ないし8年間硬直した政治が続く危険性はないかと批判する。これに対しては、大統領は政党の派閥にとらわれず自由に長官(大臣)を選任でき、また解散がないので強力なリーダーシップを発揮することが可能である、との反論がなされている。
 社会主義国家における政治制度は、国民の大半を占める労働者・農民階級の利益を代表することを目ざしてつくられている。ここでは資本主義国家におけるような議会制度、自由な立候補制、複数政党による政権交替制などの考えはなく、共産党のリーダーシップによる民主集中制方式がとられている。この際、ソ連のような二院制をとる国もあったし(現ロシアも二院制)、中国のように一院制(全国人民代表大会)をとる国もある。もっとも、高度に資本主義の発達した国々、たとえばフランス、日本、イタリアなどの共産党は、今日では国民多数の同意を得て政権を獲得した際には、現在の議会制民主主義方式を基礎に社会主義国家への転換を図る政策をとる方針を表明している。
 さて世界各国の政治制度は、上記3種の政治制度をさまざまに組み合わせて政治運営を行っている。戦後日本の政治制度についていえば、イギリス型の議院内閣制を主軸にして、司法部に関してはアメリカ型の違憲立法審査権を採用している。[田中 浩]
『田中浩著『国家と個人』(1990・岩波書店)』

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