日本大百科全書(ニッポニカ) 「マジマジの乱」の意味・わかりやすい解説
マジマジの乱
まじまじのらん
1905年から07年にかけてドイツ領東アフリカ(現タンザニア)南部で起こった反植民地抵抗運動。1885年ドイツ領となったこの地に、植民地政府はアフリカ人によるワタの共同栽培方式を導入した。これによりアラブ人の郡長らはアフリカ人成年男子を駆り出し、村ごとにワタ畑をつくらせ、年間28日間の強制労働を課した。しかし報酬は少なく、自給農作物栽培すら困難になり、住民の不満は高まった。一方キンジキティレという呪術(じゅじゅつ)師が、弾丸を水(水はスワヒリ語でマジ)に変える魔法の水を人々に与え、住民はこれを信じ戦いに備えた。これがマジ・マジMaji Majiという呼称の由来である。1905年、マトゥンビ人の村長のワタ畑襲撃を皮切りに反乱はまたたくまに近隣部族へと広まり、政府は本国に救援を依頼した。反乱は07年まで続いたが、ドイツ軍新兵器と住民の部族間の連帯不足のため住民は12万人に上る死者を出して敗北した。しかし、この反乱は後の独立運動に大きな影響を与え、植民地政府は統治方針の変更を余儀なくされた。
[青木澄夫]