直言(読み)チョクゲン

デジタル大辞泉 「直言」の意味・読み・例文・類語

ちょく‐げん【直言】

[名](スル)思っていることをありのままに言うこと。また、面と向かって直接に言うこと。「欠点を遠慮なく直言する」「社長直言する」
[類語]明言言い切る言い放つ言い張る言い通す言い続ける突っ張る断言確言言明喝破道破公言宣言立言

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精選版 日本国語大辞典 「直言」の意味・読み・例文・類語

ちょく‐げん【直言】

  1. 〘 名詞 〙
  2. ( ━する ) 思っていることを遠慮しないで相手にはっきりと言うこと。また、そのことば。⇔曲言
    1. [初出の実例]「真宗朝に天下の為には身をかへりみずして直言を以て諫君ぞ」(出典:古文真宝桂林抄(1485)乾)
    2. [その他の文献]〔春秋左伝‐成公一五年〕
  3. 論理学・倫理学などで、絶対無条件なことばをいう。「直言的判断」「直言的命令」など。定言。断言。

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百科事典マイペディア 「直言」の意味・わかりやすい解説

直言【ちょくげん】

1905年1月,《平民新聞廃刊の後をうけて出された平民社週刊機関誌。1905年2月5日創刊。前身は1904年,加藤時次郎白柳秀湖らが創刊した月刊雑誌幸徳秋水堺利彦らが論陣を張ったが,1905年9月,日比谷焼打事件後の戒厳令下,第32号で無期限発行禁止。社会主義運動内部の対立もあり,平民社は解散,《新紀元》によるキリスト教社会主義者たちと,西川光二郎らが創刊した《》による堺ら唯物派の2派に分かれた。

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普及版 字通 「直言」の読み・字形・画数・意味

【直言】ちよくげん

率直にいう。〔史記、文帝紀〕賢良方正、能く直言極諫するを擧げて、以て(およ)ばざるを匡(ただ)せ。因りて各其の任を飭(いまし)めよ。

字通「直」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「直言」の意味・わかりやすい解説

直言
ちょくげん

平民新聞』の廃刊後に平民社の機関紙となった新聞。もともとは白柳秀湖らが社会改良運動を訴えるための雑誌だったが,1905年1月 29日平民社の機関紙だった週刊『平民新聞』が廃刊しなければならなかったので,幸徳秋水らは2月5日から機関雑誌の『直言』を機関紙にした。しかしこれも9月 10日の巻頭論文『人民の大示威運動』 (日露講和条約反対国民運動への批評) で発行停止処分を受け,10月9日平民社はいったん解散し,『直言』も廃刊となった。

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世界大百科事典(旧版)内の直言の言及

【非戦論】より

…このように主戦論が大勢を占めるなかで,わずかな勢力ながらも論陣を張っていた社会主義陣営も,11月16日には社会主義協会が解散させられ,《平民新聞》も05年1月29日に廃刊となった。後継紙として,白柳秀湖,加藤時次郎らの《直言》が,日本社会主義の中央機関紙としての役割を担った。しかし,非戦論の立場を堅持していたものの,紙上で非戦論を活発に展開することはなかった。…

【平民社】より

…これは平民社内にキリスト教社会主義や改良主義,社会民主主義,無政府主義的傾向など諸潮流を内包していたことを意味し,日露戦争の終結,相次ぐ発禁処分と裁判,関係者の入獄,財政難に直面するとその思想的対立が露呈し,主柱であった《平民新聞》は1905年1月廃刊のやむなきにいたった。直後に加藤の《直言》を継承して活動を続けたが,日比谷焼打事件後の戒厳令下,無期限発禁処分をうけ内部対立もあってついに平民社は解散した。幸徳は筆禍事件で5ヵ月間入獄したのち,一時渡米していたが06年6月に帰国,堺らとともに平民社を再建した。…

※「直言」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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