日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハマス」の意味・わかりやすい解説
ハマス
はます
HAMAS
パレスチナ占領地で反イスラエル闘争を続けるイスラム原理主義組織。名称はアラビア語の「イスラム抵抗運動」(Haraka al-Muqawama al-Islamiya)の頭文字を並べたもので、1970年代後半「ムスリム同胞団」(1928年にエジプトで設立)を母体に社会活動団体として発足。教育・福祉・医療活動を通じ、難民や貧困層などに浸透した。1987年末ガザ地区を拠点に始まった反イスラエル闘争「インティファーダ」(大衆蜂起)以来、軍事部門「カッサム隊」(Izz al-Din al-Qassam)を設けて武装闘争に転換したが、運動の主導権をめぐり「パレスチナ解放機構」(PLO)とは対立関係にあり、イスラエルとの和平路線に反対している。そのため、対イスラエル軍兵士や市民にだけでなくイスラエルと協力的なPLO活動家にも無差別攻撃事件を起こしている。1990年代に入り、イスラエル国内での自爆攻撃を増加させ、1994年2月以降は、首都エルサレムやテル・アビブ市街で路線バスやマーケットなどへの連続攻撃を多発させている。これらに対して、イスラエル政府は全面戦争を宣言してハマス封じ込め策を強め、パレスチナ自治政府もハマスへの対決姿勢をとった。
ハマスの創始者で精神的指導者といわれたアハメド・ヤシンAhmed Yassin(1938―2004)は、1989年以来イスラエル治安当局によって拘束されていたが、1997年10月ヨルダンのハマス幹部暗殺に失敗して逮捕されたイスラエル情報機関モサドの工作員の身柄と交換に釈放された。その後もハマスの精神的支柱として支持されたが、2004年3月ガザ市内でイスラエル軍のミサイル攻撃によって殺害された。ヤシンの後継としてハマスの指導者に就任したのは、強硬派のアブドルアジス・ランティシAbdel Aziz Rantisi(1947―2004)であったが、同年4月イスラエル軍はランティシをも殺害した。現指導者はハーレド・マシャルKhaled Meshaal(1956― )である。
その後、ハマスは、2006年1月に行われたパレスチナ評議会選挙に初めて参加、それまでの主流派であったファタハを上回る支持を得て、定数132議席のうち74議席を獲得して第一党となり、ハマス幹部のハニヤを首相とした内閣を発足させた。しかしファタハとの抗争やイスラエルとの衝突が続き自治政府内の治安は悪化した。その後2007年3月に非ハマス系閣僚を加えた連立内閣が成立したが、同年6月にハマスはガザ地区を制圧し、自治政府大統領アッバスは首相ハニヤを罷免した。自治政府内はファタハが支配するヨルダン川西岸地区とハマスが支配するガザ地区とに分断され、対立が続いている。
[奥野保男]