現代外国人名録2016 「マリオンジョーンズ」の解説
マリオン ジョーンズ
Marion Jones
- 職業・肩書
- 元陸上選手(短距離)
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1975年10月12日
- 出生地
- カリフォルニア州ロサンゼルス
- 学歴
- ノースカロライナ大学〔1997年〕卒
- 勲章褒章
- ベリーズ勲章〔2001年〕
- 受賞
- ジェシー・オーエンス賞〔1997年・1998年〕,ローレウス・スポーツ賞(スポーツウーマン賞,第1回)〔2000年〕
- 経歴
- 高校時代100メートル、200メートルで15歳、16歳の世界最高記録をマーク。1992年バルセロナ五輪の女子リレーメンバーに選ばれるが、バスケットボールの方を選び代表を辞退。ノースカロライナ大学ではバスケットボールに打ち込み、’94年ポイントガードとして同大チームのNCAAトーナメント初優勝に貢献、’95年ノースカロライナ州で初の1000得点選手となる。◆◆その後左足小指骨折により1年を棒に振り、’96年アトランタ五輪をテレビで見て陸上専念を決意。’97年全米選手権で100メートルと走り幅跳びを制し、同年世界選手権アテネ大会の100メートルと4×100メートルリレーで金メダルを獲得。’98年全米選手権では100メートル、200メートル、走り幅跳びで優勝し、女子選手として50年ぶりに三冠を達成。’99年世界選手権セビリア大会100メートルで金メダル、走り幅跳びで銅メダル。◆◆2000年全米選手権では100メートル、200メートル、走り幅跳びで優勝し、三冠を達成。同年シドニー五輪100メートル、200メートル、4×400メートルリレーで金メダル、走り幅跳び、400メートルリレーで銅メダル。同年米国オリンピック委員会最優秀選手に選出される。2001年全米選手権200メートル4連覇。同年世界選手権エドモントン大会200メートル、4×100メートルリレーで金メダル、100メートルは銀メダル。2004年アテネ五輪では走り幅跳び5位、4×100メートルリレーではバトンパスに失敗して棄権し、無冠に終わった。◆◆2007年10月ニューヨーク連邦地裁で、ドーピングなどに関する2003年と2006年の捜査において偽証し、禁止薬物を使用していたことを認める。謝罪後、現役引退を発表し、シドニー五輪で獲得した3個の金メダルを含む5個のメダルを返還、また米国反ドーピング機構(USADA)は禁止薬物の使用を開始したとされる2000年9月以降の全ての記録を抹消することを決め、これに同意した。2008年1月ニューヨーク連邦地裁から禁固6ケ月の実刑とその後2年間の保護観察処分を言い渡された。◆◆その後、大学時代に打ち込んでいたバスケットボールに活路を求め、2010年米国女子バスケットボールのWBNAにデビュー。タルサ・ショックに所属したが、活躍できず、2011年解雇される。◆◆1998年砲丸投げ選手のC.J.ハンターと結婚するが、2001年離婚。2003年7月短距離選手のティム・モンゴメリーとの間に1男をもうける。2007年シドニー五輪陸上男子100メートル銅メダリストのオバドル・トンプソンと結婚。178センチ、63キロ。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報