マーレキライヤト制(読み)マーレキライヤトせい(その他表記)ravābet-e mālek va ra'iyat

改訂新版 世界大百科事典 「マーレキライヤト制」の意味・わかりやすい解説

マーレキ・ライヤト制 (マーレキライヤトせい)
ravābet-e mālek va ra'iyat

イランにおける地主・小作関係をいう。農地改革(1962)前のイランでは耕地の約90%は地主が所有し,うち80%強は分益小作制によって経営されていた。分益小作制は高原地方に広くみられ,降水量が少なく灌漑技術が農作業においてきわめて重要な意味をもつ地方では,ボネboneなどと称する特殊な耕地制度がとられていた。地主は所有する耕地を一定数の耕区に分け,そこに一定数の農民を配属して共同で農作業をさせる。収穫は各耕区ごとに所定比率で地主と農民の間で分配され,農民は自分たちの耕区における取り分を均分するという方法である。この場合,農作業は地主側からの指示通りになされ,農民の土地に対する権利も弱く,農民は労働者的な色彩が濃い。耕地,村の住宅など諸施設は地主の所有物であり,村は地主に属するものとされる。収穫配分は5分割式が一般的目安となっている。つまり,農耕の5要素(土地,労働,水,家畜,種)の提供の割合に応じて収穫を分配するという考えである。高原部のオアシス集落とは異なり,カスピ海地方など湿潤地帯では定額小作もみられた。また,このほか役牛を所有する者が2人集まり,2頭の牛で耕作しうる広さの土地を一つの耕作単位となすジョフトjoft制もかなり広く行われている。1962年に始まるモハンマド・レザー・パフラビー国王の白色革命過程で農地改革が実施され,イランに固有の制度は消滅した。
地主
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のマーレキライヤト制の言及

【イラン】より

… イランの社会は他の西アジア地域と比べると遊牧の比重が高いが,農業が依然として産業の基幹をなしていることに変りはない。イランの農村(デヘ)は,19世紀の後半に成立したマーレキ・ライヤト制という,地主的土地所有のもとに組みこまれている。地主は都市に住みながら,農業経営と土地の管理をモスタージェル(差配人)とキャドホダー(村長)にまかせてザーレ(小作人)を使役している。…

【村】より

…また19世紀後半には個々の農民に土地所有権が認められたものの,地主層の土地集積によってこれを手離す農民が続出し,彼らは地主の農場(イズバ‘izba)で小作農,農業労働者として働かざるをえなかった(地主)。 イランでもカージャール朝(1779‐1925)時代になると,マーレキ・ライヤト制と呼ばれる地主・小作関係が成立した。マーレキは土地所有者として耕作の方法や収穫物の分益法に干渉し,村長(キャドホダーkadkhodā)を通じてむら支配を続けたが,この体制は1960年代のモハンマド・レザー・パフラビーによる農地改革期まで温存された。…

※「マーレキライヤト制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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